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私と葺合高校 ~OB・OGは今~

第9回
平成23年国際科卒業
吉田麻由さん(NHK金沢放送局 記者)
    

 忙しさに忙殺され何もかも投げたしたくなると、いつもふと思い浮かぶ人たちがいます。それは葺合高校で出会った先生、友人、そして当時必死に高校生活を送っていた自分です。「高校生の自分に絶対負けたくない」、そう思うと不思議と前に進むことができます。

 NHKの記者になり4年が経ちました。初任地は北陸新幹線の開業で活気づく石川県・金沢市。外国人観光客が増え、得意の英語を仕事に使えると意気込みました。しかし、新人の2年間担当したのは事件や裁判の取材でした。毎朝、地元紙の朝刊に知らない事件が書かれていないか確認することから始まり、事件や事故について他の報道機関よりも早く、詳しい情報を得るため夜遅くまで警察幹部に取材し、火事があれば雪の中でも、夜中でもビデオカメラを持って駆けつける・・・そんな2年間でした。想像していた以上のハードさにうちひしがれ、一年目は毎日「こんな仕事辞めてやる!」と心の中で(奥底から?)思っていました。

 そんな私が4年間ふんばれたのは他でもない、国際科での3年間があったからです。英語が大好きだった私は迷わず国際科に進学しました。学校の授業で培った英語力を更に伸ばそうとディベート大会やスピーチコンテストにも積極的に参加し、2年生のときに参加したスピーチコンテストでは全国で3位に入賞しました。10年近い時間が経った今でも鮮明に記憶に残っているのは大会までの3か月間毎日、放課後の練習につきあってくれた先生、そして予選の応援に駆けつけてくれた友人たちの存在です。仕事でちょっとした失敗をして弱気になったとき、「先生や友達が今の自分の姿を見たらどう思うだろうか?」、そう思うと愚痴をこぼしている場合ではない!と、ただがむしゃらに前に進もうとしていた高校の頃の私に戻ります。また、自分の見たことや感じたことを伝える楽しさ、喜びを感じたのもこのスピーチコンテストでの経験でした。思い返すと、この時から漠然と記者になりたいと感じていたのかもしれません。

 英語以外の言語を身につけようと、大学では中国語を勉強しました。当時、めまぐるしい急成長を遂げていた中国ですが、イメージとしてあったのは食品の偽造問題や大気汚染といったあまり良くないものばかりで、本当はどういう国なのか知りたいと思ったからです。大学3年生の夏から半年間北京に留学し、出稼ぎ労働者の子どもたちに英語を教えるボランティアに参加しました。当時、農村から出稼ぎにきている子どもたちは都市での通学を原則として認められず、大学生や引退した教員が運営する非正規の学校に通うほか選択肢がありませんでした。優秀な先生が集められ、最新のITや実験器具など設備が整った都市の学校との教育の質の差は言うまでもありません。構造的な貧富の差を目の前に憤りを感じると同時に自分の非力さを痛感しました。

 これは国内でも起こっていることです。目先の経済を優先する国や企業の政策のひずみの影響で困難に直面する人たちの声は耳を傾けないと聞こえません。社会の理不尽な出来事を掘り下げて伝えることで、場合によっては国も動かすことができる仕事に大きなやりがいを感じています。もちろん、楽しいことばかりではありません。進路、仕事が思い通りに行かず、友人や家族に迷惑をかけたことも何度もあります。ただ、高校のときに関わった人たちや家族の顔を思い浮かべると、「期待を裏切りたくない、とりあえず前に一歩踏み出してみよう」、そう思えるのです。

 卒業して10年ほど経った今でも高校の友人たちと年に一度は集まり、お互いの近況を共有します。場所は王子公園のクレープ屋から金沢や東京などの居酒屋に変わりましたが、話す内容はあまり変わらず、高校生の頃と同じように大声で笑うとふと悩んでいたことも忘れてしまいます。新時代を迎え、これから皆さんも様々な葛藤や悩みに直面することがあると思います。納得できないこともたくさんあるでしょう。そんなときにふと立ち返れる場所、前に進む勇気をくれる場所、それが葺合高校になってほしい、と卒業生として願っています。