坂本 繁 作詞
田尻 幹夫 作曲
一. 寄せくる波濤のきらめいて 世界を担う情熱は 今誇らかに燃えるとき あゝ六甲,六甲アイランド高校 | 北に悠揚六甲の山 生きる力のゆるぎなく 支えて学ぶ感動を 今爽やかに誓うとき あゝ六甲,六甲アイランド高校 | 三.
マリンブルーの色冴えて
理想の大地に拓き立つ 確かな軌跡刻されて 黎明駆ける青春の 今純らかに結実るとき あゝ六甲,六甲アイランド高校 |
本校の校歌を作曲して、もう10年になります。振り返ってみると様々な事を思い出します(当時、私は市立須磨高校に勤務)。
平成9年(1997)10月8日、神戸市教育委員会学校振興課からの電話を受け取ったことで、本校の校歌を作曲することになりました。10月20日昼休みの終わる頃、校長室で校歌の歌詞を受け取り、作詞者は坂本繁先生(当時、市総合教育センター所長)でした。坂本先生と私は昭和44年より4年間、神戸市立駒ヶ林中学校でご一緒させていただき、この間、坂本先生の作詞された「のぞみの白帆」という卒業式歌を作曲させていただいたこともありました。
今回、あの懐かしい先生独特のリズムが漂う歌詞に再会し、「茅渟の海」「情熱」「緑豊かに」「悠揚」「マリンブルー」「青春」「六甲アイランド高校」が、目に飛び込んできました。私は反射的に“色彩豊かな歌詞だ”“全体の色調は紫寄りの赤紫だ、しかも輝いている、光っている”と思いました。
1.作曲する事に関して
色調が赤紫であれば、楽調は“変ホ長調”です。(カバラ哲学より:EFGAHCDは赤橙黄緑青藍紫に対応する。D=式典の調、Es=喜びの調、E=誕生の調など)
歌詞をゆっくり何度も読み返しました。一つの楽想が脳裏をよぎり、忘れないうちに書き留めておこうと思った矢先に、次々と楽想が脳裏を駆け巡ってきました。机上にあった用紙に五線を引いて書き留め、全部で7曲、不思議なことに全て“変ホ長調”でした。
帰宅して、その日の内に完成しておこうと思って、歌詞の流れや抑揚、言葉のアクセントに留意しながら旋律を紡いでいきました。7曲とも完成しましたが、最初のものが頭から離れないので、これを仕上げました。
平成9年(1997)11月12日、建設中の現場を視察して作曲に生かせるようにと、学校振興課の計らいで数人の先生方と現地に来ました。当地に聳え立つ鉄骨Rahmen(骨組み)の巨大な未完成アートを目前に、これがどのような建物になるのか…と思いつつ、工事用エレベーターで5階まで上って十方を見渡しました。南前下方に棕櫚樹の植わった海岸が見え、エキゾチックな楽想が浮かび、この日は2曲スケッチしました。11月15日と11月20日(エキゾチックな曲)を仕上げました。
合計3曲の内から1曲を採用するために決定しなければならず、3曲のデモテープを作り、学校振興課へ届けました。なかなか決定の返事がないため、次の準備ができません…。平成10年(1998)3月28日に第1曲目のものが採用決定されました。
2.第一期生とともに
私の頭の中では何らかの形で使用されるものと仮想し、楽譜だけは作っておかなくてはならないと思いました。日一日と入学式の日が迫ってくる。とりあえずは歌うだろう。それならば練習に負担のかからない楽譜を作っておこう。また、赤塚山か神戸商業高校の吹奏楽部が演奏するかも知れないと思ったので、吹奏楽用の楽譜も作りました。(結果的には校歌は演奏しなかったと聞いていますが…)
第一期生の授業が始まりました。私は須磨高校で定年退職し、本校の講師として勤務しました。その中で校歌をどのように使用するのかを考え、演奏形態に対応した楽譜を作っておかなければならないと思い、楽譜を作っていきました。
・校歌指導のための楽譜
・吹奏楽用(フル編成)楽譜
・オーケストラ用楽譜(芸術鑑賞会にはオーケストラかアンサンブルを呼ぶかと聞いていたので)
・トランペット、チェンバロ、弦楽五部の為のアンサンブル用楽譜(テレマン=アンサンブルを呼ぶことになったので)
・第一期生音楽コースの発表会で演奏するための混声四部合唱譜
・オカリナとチェレスターのための楽譜(業間チャイムの代わりに校歌チャイムを使用するかも知れないと思った)
この校歌を六甲アイランド高校の生徒たちは歌ってくれるのだろうか。もし、歌ってくれなければどうしよう等と心配し、不安で寝られない日がありました。また、寝床に入ってあれこれ良からぬ想像が悪循環した事もありました。こんな不安を持ったまま時が過ぎていきました。
第一期生の文化祭フィナーレでした。生徒会文化委員長の女生徒の言葉「…世界に一つしかない我が校の校歌を皆で歌いま~す」で、ピアノの前奏に続いて生徒たちは歌いました。アリーナが爆発しそうな、若さがはじけるような素晴らしい声で歌い上げてくれました。私は感激し、気が遠くなるようにも思えました。しばらくして自分を取りもどし、“歌ってくれた!よかった!生徒たちに救われた!”。そうです、六アイの生徒たちに救われた事を実感したのです。この時以来、もうこの校歌は六アイ生のものなんだと思いました。
私は六アイ生にエールを送り続けたいと思います。「六甲アイランド高校の生徒たち!弥栄!」と。今もアリーナの正面には、第一期生が製作した木彫ボードが、弥栄と我々を励ましてくれています。
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