せいようひがし  ようごがっこう
青陽東養護学校
   
     
 

沿革

沿革

 平成29年・体育館、給食室空調新設、全館空調改修 
・十六代校長 河地満則(現) 着任[4.1]
 平成28年 ・体育館屋上耐震工事
 平成27年・仮設プレハブ3階校舎完成 9月より利用開始
・十五代校長 中尾和文着任[4.1]
  ・敷地内の仮設校舎建設検討 校区の更新(魚崎、本庄、本山南の各中学校校区)
平成24年 ・十四代校長 芦田孔孝着任[4.1]
平成19年・ 十三代校長 茅田一幸着任[4.1]
平成18年・ 学校公開講座開始 ・10月14日(土)、のじぎく兵庫大会開会式高等部参加
平成16年・ 家庭療育支援プログラム開始
平成15年・ 地域支援事業(外部教育相談)開始 ・発達支援実践講座開始
平成14年・ 文部科学省委嘱 盲・聾・養護学校等 新教育課程推進実践研究発表会[2.17]
・ プール内側全面塗装
平成13年・ 十二代校長 松本伸男着任[4.1]
平成11年・ 十一代校長 中村彰男着任[4.1]
平成10年・ PTA広報「青陽東」発行[3.10] ・ 部活動、サークル活動開始[5.18]
平成 9年・ 十代校長 長谷照彦着任[4.1]
平成 7年・ 兵庫県南部地震発生[1.17]、壁面校舎周辺破損・避難者1500名余
・ 校舎補修完了[12] ・ 避難所解消[12.25]
平成 6年・ 九代校長 東郷賢治着任[4.1]
平成 5年・ 新校舎完成[1.29]、移転開校[4.1] ・ 創立30周年と校舎竣工を祝う会開催[6.6]
平成 3年・ 灘区岩屋北町6丁目に新校舎建設着工[9.26]
平成 2年・ 八代校長 川上 博着任[4.1]
昭和62年・ 七代校長 高木修治着任[4.1]
昭和60年・ 六代校長 宮下義徳着任[4.1]
昭和58年・ 五代校長 清水正夫着任[4.1] ・小野柄小教室を改装し本校教室として使用[58~61年]
昭和55年・ 四代校長 山田 稔着任[4.1]・ 居住地の校区中学校との交流学習開始[6]
昭和53年・ 三代校長 小倉康男着任[4.1]
昭和52年・ 分教室は青陽西養護学校の所属となる[3.2]
・ 本校に高等部2学級設置[4.1]
・ 青陽養護学校創立15周年記念式典開催(東・西養護学校、青陽同窓会共催)[11.6]
昭和51年・ 表現学習開始[4] ・ 広報「せいようの子」発行開始[5.13]
昭和50年・ 校舎増築(車庫・集会室・小体育館)[5.31]
・ 青陽東養護学校高等部、青陽西養護学校高等部は所属従来のままで二葉小学校北
校舎を分教室として発足、生徒数36名[10.1]
・ 青陽東西養護学校高等部分教室開級式[10.8]
昭和49年・ 二代校長 玉本 格着任[4.1]
昭和48年・ 青陽東養護学校・小野柄小学校共用プール完成[7]
昭和47年・ 小野柄分校が独立し、神戸市立青陽東養護学校と改称[4.1]
・ 初代校長 山本晴一郎着任[4.1]
昭和46年・ 三代校長 山本晴一郎着任[4.1] ・ 居住地の校区小学校との交流学習開始
昭和44年・ 養護、訓練(抽出による)指導開始
昭和43年・ 新校舎完成[7.31]
・ 設置条令一部改正 垂水区狩口台3丁目7に神戸市立青陽養護学校設置[9.1]
・ 葺合区小野柄通2丁目5に神戸市立青陽養護学校小野柄分校設置[9.1]
・ 本校(垂水区狩口台)の通学区を兵庫区以西居住の児童生徒とする[9.2]
昭和42年・ 垂水区狩口台3丁目7に分校建設着工[12]
昭和41年・ 高等部設置に伴う学則一部改正[3.31]、高等部1学級設置[4.1]
・ 二代校長 白石孝之着任[4.1]
昭和39年・ 神戸市立王子動物園での作業開始(小学部)[39~49年]
昭和38年・ 神戸市立青陽養護学校設立(小学部3学級 中学部1学級)〈市教委告示〉[4.1]
・ 初代校長 笹倉二郎着任[4.1]
・ 開校式 第1回入学式[5.1]
・ 神戸市立教育植物園での実習開始(中学部)[38~45年] ・ 徒歩訓練開始