「多聞」という地名は、七福神の一人、「毘沙門天」の別名「多聞天」からつけられました。奈良時代のころ、この地に毘沙門天が現れたという伝説があり、そこから「多聞」の名をいただきました。「毘沙門天」とは、七福神の中で鎧とかぶとに身を固めたたくましい武人の神様で、歴史で有名な上杉謙信が信仰していたそうです。
その多聞天を祭るために「多聞寺」が作られ、お寺で働く人々や修行するお坊さんが集まり、いわゆる門前町として栄えました・
「多聞寺」は、平安時代から鎌倉時代にかけて栄えたそうですが、今から約400年前の安土桃山時代に、豊臣秀吉が三木城攻略の途中にこの寺を攻め、23もあった寺のほとんどを焼きはらってしまい、多聞寺一つを残すばかりになり、このときから賑わいを取り戻すことはできなかったそうです。
60年ほど前の多聞村は、戸数60戸足らずの小さな村でしたが、現在は団地も多く、大門付近の車の通行量や店舗の普及ぶりから見ると、昔の賑わいを取り戻したかの感があります。
多聞の町ができるまで
以上のように地図に色分けをしました。 約150年位昔の地図です。「石」
昔の地名です。 とは明石のことで、このころは神戸ではな
く、明石県でした。
今から50年くらい昔です。多聞台 20年くらい昔です。今の町とほぼ
(旧名おかの町)ができました。 変わりません。たくさんの家ができまし
まだ多聞南小学校はありません。 た。
今度は本多聞5・6・7丁目、学が丘1丁目ができる様子をくわしくお伝えします。
赤が多聞南小学校と5丁目、青が6丁目、黄色が7丁目、緑が学が丘1丁目です。
分かりやすくするために町に色をぬってみました。
地図を比べてわかったことをまとめました。
平成26年度 3年2組 作成