神戸市立多聞南小学校     笑顔あふれる南っ子

 

校区の風景

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since 2009

多聞南小学校47年のあゆみ

令和2年5月1日発行
No1.pdf
    No2.pdf
    6月1日発行
No3.pdf    No4.pdf
        6月30日発行
No5.pdf No6.pdf 
    7月22日発行
No7.pdf No8.pdf
    8月31日発行
No9.pdf No10.pdf
    9月30日発行
No11.pdf  No12.pdf
   10月30日発行
  No13.pdf
   11月30日発行
  No14.pdf
    1月 6日発行
  No15.pdf
    1月29日発行
  No.16 最終号.pdf
 

天気予報

 

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多聞の地名の由来

 「多聞」という地名は、七福神の一人、「毘沙門天」の別名「多聞天」からつけられました。奈良時代のころ、この地に毘沙門天が現れたという伝説があり、そこから「多聞」の名をいただきました。「毘沙門天」とは、七福神の中で鎧とかぶとに身を固めたたくましい武人の神様で、歴史で有名な上杉謙信が信仰していたそうです。

 その多聞天を祭るために「多聞寺」が作られ、お寺で働く人々や修行するお坊さんが集まり、いわゆる門前町として栄えました・

「多聞寺」は、平安時代から鎌倉時代にかけて栄えたそうですが、今から約400年前の安土桃山時代に、豊臣秀吉が三木城攻略の途中にこの寺を攻め、23もあった寺のほとんどを焼きはらってしまい、多聞寺一つを残すばかりになり、このときから賑わいを取り戻すことはできなかったそうです。

 60年ほど前の多聞村は、戸数60戸足らずの小さな村でしたが、現在は団地も多く、大門付近の車の通行量や店舗の普及ぶりから見ると、昔の賑わいを取り戻したかの感があります。


多聞の町ができるまで


以上のように地図に色分けをしました。 約150年位昔の地図です。「石」
昔の地名です。            とは明石のことで、このころは神戸ではな 
                   く、明石県でした。
                   


 今から50年くらい昔です。多聞台    20年くらい昔です。今の町とほぼ
(旧名おかの町)ができました。     変わりません。たくさんの家ができまし
 まだ多聞南小学校はありません。    た。


今度は本多聞5・6・7丁目、学が丘1丁目ができる様子をくわしくお伝えします。
赤が多聞南小学校と5丁目、青が6丁目、黄色が7丁目、緑が学が丘1丁目です。


 
分かりやすくするために町に色をぬってみました。



地図を比べてわかったことをまとめました。

 平成26年度 3年2組 作成