〇震災祈念集会を行いました。
今年はICT機器を利用し、各教室で行いました。
6年生が進行し、黙とうの後震災についての学びを行いました。
例年は、「しあわせはこべるように」を全員で合唱するのですが、
今年は音楽を聴きながら、心の中で歌いました。
以下、6年生が進行する中で話した内容です。
静かな、力強い声で話してくれました。
一・一七 希望の灯り
震災が奪ったもの
命 仕事 団らん 町なみ 思い出
・・・たった一秒先が予知できない人間の限界・・・
震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆 仲間
この灯りは 奪われた すべてのいのちと
生き残った わたしたちの思いを
むすびつなぐ
26年前の今日、
私たちが住む神戸で、 大きな地震が起きました。
たくさんの方々が被災し、たくさんの方々が亡くなりました。
地震はこれからも、いつ起きるか分かりません。
だからこそ、
私たちも、震災について一生懸命勉強しなくてはいけません。
被災された方々を想い、そしてこれからの自分たちを想う、
雲中小学校全員でそんな一日にしていきましょう。
ただ今より、 神戸市立雲中小学校、
阪神・淡路大震災発生26年、祈念集会を始めます。
阪神・淡路大震災では、たくさんの方々がお亡くなりになりました。
亡くなった方々のご冥福をお祈りして1分間の黙とうを捧げます。
この後、詳しい話がありますが、
たくさんの方々が震災でお亡くなりになったことを
知っておいてください。
阪神・淡路大震災を経験していない私たちが、
今日の防災デイの学習に真剣に取り組めるように、
そして被災された方々に心からお祈りできるように、
当時の様子や被害状況について、
学習したいと思います。
26年前の今日、1月17日午前5時46分52秒、
淡路島と神戸市の間にある明石海峡を震源として
マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生しました。
兵庫県を中心に、大阪府や京都府も被害を受けました。
特に、震源に近い神戸市市街地の被害はとても大きく、
日本国内のみならず、世界中に衝撃を与えました。
揺れがとても強い地震でしたが、震度1以上の揺れを感じた地域も、
東は福島県、西は長崎県、北は新潟県、南は鹿児島県までと、
とても広い範囲だったことが特徴的です。
この震災で、6434もの尊い命が失われました。
けがをした方は43792人、
そして未だに見つかっていない方も3名おられます。
たくさんの建物が壊れたため、
一番多い時には、316678人もの人が避難されました。
避難所となった学校では、人であふれかえり、
体育館はもちろん教室、そして廊下や階段まで
人で埋め尽くされた学校もあったそうです。
運動場や公園など、外で避難する人達もいたそうです。
被害が大きくなった原因に、地震による建物の被害が挙げられます。
木造の建物が崩れたほか、ビルなどは崩れ倒れる、
また、建物の2階などがつぶれる様子が見られました。
もっと大きな建物としては、
高速道路が根元から倒れてしまいました。
建物が崩れたほかに、火災もたくさん起きました。
特に、長田区や須磨区では、空が真っ黒になるほど、
広い範囲で火災が起こりました。
火災が原因で亡くなった方も、たくさんいたそうです。
電気、水道、ガスなどのライフラインが止まった中、
人々は協力して生活したり、救助したりしました。
震災で大きな被害を負った神戸のために、
たくさんの支援がありました。
それは全国各地より、そして世界からも届きました。
救助や炊き出し、避難所のお手伝い、そして物資など
数えきれないほどの人が支え、そしてものが届きました。
しかし、被災したショックと、避難生活はとても大変なものでした。
たくさんの命が奪われ、人々の元気まで奪われてしまった中でも、
新しい命は産まれます。そうです。
苦しい中でも、やはり人々の希望は
子供たちの笑顔だったのです。
避難所となった学校では、小学生も大人のお手伝いをしたり、
避難所新聞を作ったりと、
自分たちにできることを一生懸命頑張りました。
そんな子供たちの姿を見て、そしてたくさんの支えに勇気づけられて、
大人たちもがんばろうと立ち上がり、
街の復興が始まったのです。
傷ついた神戸を元の姿に戻そうと決意したのです。
震災を知らない私たちが、地震があったことなど想像もできないほど、
神戸は立派になりました。
しかし、神戸に住むものとして、
再び来るかもしれない地震に備えること、
そして当時の神戸の人たちの苦労や努力を知ることは、
とても大切なことなのです。
今日、大切なことをたくさん勉強したり、経験したりします。
どの時間も無駄にしないよう、一生懸命学習しましょう。
それが、神戸に住む私たちに、
震災後に生まれた私たちに
今できる唯一のことだから。
ご自身も、阪神・淡路大震災に被災された、
神戸市小学校の音楽の先生である、臼井 真先生が作られた「しあわせはこべるように」。
今では、神戸はもちろん、
東北や他の国々でも大切に歌われているそうです。
そんな「しあわせはこべるように」が、
一番初めに歌われたのは、避難所となっていた吾妻小学校。
避難されている方々に、少しでも元気になってほしいと
子供たちが一生懸命歌ったのがはじまりだそうです。
今では、たくさんの人々の心をつなぐ歌となっています。
私は、自分が産まれる前にとても大きな地震が神戸であったことは知っていましたが、
この集会を通して、改めてたくさんの方々が被災されたこと、
そしていろんな方々が神戸を支えてくれたこと、
そして何よりも神戸の人たちがみんなで協力して震災を乗り越えようとしていたことを
知ることができました。
これからも震災学習や避難訓練なども一生懸命取り組みたいと思います。
これを持ちまして、神戸市立雲中小学校、
阪神・淡路大震災発生26年
祈念集会を終わります。