昭和13年(1938年)~14年(1939年) ① ② 昭和13年4月1日に、神戸市須磨尋常高等小学校(現西須摩小学校)と東須磨尋常小学校から分離し、神戸市立若宮尋常小学校として開校しました。 【①】この写真は、昭和11年9月に建設予定地として撮影された、若宮小学校の写真として最も古いものです。 【②】昭和13年 完成した校舎。この校舎は改修を繰り返しながらですが、平成10年の現校舎竣工までの60年間、たくさんのわかみやっ子の生活を支えてくれた校舎です。 ③ ④ ⑤ 【③】初代校長の山川伸章校長先生。 【④】昭和13年の職員写真。39名の最初の教職員です。 【⑤】奉安殿(ほうあんでん)戦前の学校にはどこにもあったものだそうで、中には、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語が収められていました。この奉安殿の前を通る際には、服装を正して最敬礼をするよう定められていたそうです。 ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ 【⑥】普通教室 木製の2人つながった机です。今使用しているような一人ひとりの机になるのは、昭和49年の36年後のことです。 【⑦】音楽室 56人分の木製の机といすを置いた音楽室です。照明とカーテンがとてもステキです。 【⑧】校長室 石膏の像がひときわ目立つ明るい校長室。 【⑨】男子トイレ 今のトイレと比べると少し古さを感じますが、少し前まではこんな感じだったように思いますが・・・
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【⑩】創立当時の平面図 小さいので読めないと思いますが、珍しい部屋がいろいろあります。衛生室、宿直室、作方室、手工室、保護者室、運動場には、雲梯(うんてい)、肋木(ろくぼく)、横木などなど健康器具的なものがそろっています。 昭和14年1月18日、昔はどの小学校にもあった、二宮尊徳先生の銅像がこの神戸市立若宮尋常小学校にも建立されました。 ① ② 【①】学校の正門横に設置された、立派な二宮尊徳先生の銅像。銅像の後ろには、池があります。 【②】年代はわかりませんが、”尊徳像応召”とタイトルがつけられた写真です。応召(おうしょう)とは「召集令状を受け軍務につくため指定地に行くこと」とあります。銅でできた尊徳像は、このように集められて、第二次世界大戦で、爆弾などの材料として使われてしまいました。撮影場所は、南須磨との記載があります。 ③ ④ 【③】昭和14年2月4日校旗の制定です。同じような校旗ではありますが、もちろん学校名は「神戸市立若宮尋常小学校」とされています。 【④】校旗披露。朝礼台で、代表児童が披露している写真です。