神戸市立山田小学校                      
                                                                                                                                                                                                      
                                                                                                                                                                                                      
                                                                                                                                                                                                                 明治13年創立               
                                                                                                                                                                                                      
 

山田の話(雑記帳)

 

山田のはなし・・・・(雑記帳)

 

呑吐ダム (三木側の呼称)  神戸側では「つくはら湖」とよぶ。

山田の突き(衝き)当たりという意味合いの地名の衝原。

  古い国名で言うと、摂津の国と播磨の国の境目になりますが、ここは両側から山が迫り、狭い川幅となっていました。

 山田川(志染川)は衝原から三木側に流れるところに滝がいくつもあり、その滝が水を呑んでは吐き出すように見えたことから「呑吐の滝」と呼ばれていたことに由来します。

 奇岩怪石の中を大小の滝がしぶきをあげて流れ落ちる様は壮観でありました。

 しかし、ダム建設により、破壊され、湖底に沈んだままになっています。

 

 この呑吐ダムの建設によって、衝原の住居32戸が水没することになりました。

 この中には国指定重要文化財である日本最古の民家「箱木千年家」も含まれていましたが、呑吐ダムの東側に造成された宅地の一角に解体修理を兼ねて移築されました。(元の位置は現在の場所より約70m西側でした。)

 他の住人の人たちはほぼ半数はその造成地に家を建てて住まわれていますが、その他の方は他の地域に移られました。

 皆さんの親戚や近所の方で「昔は衝原に住んでたんや。」という人がおられませんか。

 私の同級生も5~6人います。

 

「呑吐ダム」は三木・神戸・東播磨各地の生活・農業用水を供給する目的で昭和52年(1977)から約10年後の昭和61年(1986)に完成しました。このおかげで13市町村の7700ha、の田畑を潤すのと、浄化して飲料にも供給されています。

 

規模     呑吐ダム           黒四ダム(日本一?)

堰堤高さ      71,5m             186、0m

堰堤長さ     260,0m            492,0m

堰堤体積       37万㎥              158万㎥

面積       105万㎡(ウイングスタジアム33個分)  349万㎡

貯水量      1886万㎥                2億㎥

 

 

呑吐ダム管理事務所は兵庫県の南部地区のダムの管理を一括して行っている。

その範囲は篠山町の「川代ダム」、三田市の「大川瀬ダム」「青野ダム」東条湖の「鴨川ダム」さらに北側の「一庫(ひとくら)ダム」などに及んでいる。

パイプラインを通じて水量の調整なども管理している。

 

山田にある4つのダム

・ 石井ダム    神鉄沿い(鈴蘭台~旧菊水山 間)

・ 天王ダム    R428沿い(水呑交差点南)

    呑吐ダム

    山田池     呑吐ダム南側 (昭和8年に山中に建設されたダム)

   山田疎水とよばれる水路で東播磨地区に水を供給していた。

   日本の近代土木遺産に指定されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ガキノノド(餓鬼の喉)

 山田川が切り立った崖のごつごつした奇岩の中を流れ落ちて激流の様を呈している。

あたかもいつも乾き飢えている餓鬼ののどのよう。

 このあたりは山田川流域で最も山が迫り狭い箇所であり、いわば山田の喉首である。山田の地名の基準になったであろう場所である。

以前に兵庫県の観光100選に指定されたが、開発や不法投棄でかなり汚損されている。

* 青葉台橋下から、原野まで下るルートは冒険遊びにはいいところかも。

 

箕谷城跡

 ガキノノドのように狭隘な地形は通路が限られ、砦や関所を作るのに適しているが、大きな城は作れない。

 実戦で使われたという記録も見当たらないことから、小さな砦ではなかったかと思われる。

 

天彦根(あまつひこね)神社

 山田中学校横にある神社。

 創建年月は不明であるが、神域に老木が多いことなどから古くより祀られてきたものと思われる。

 祭神は  天津彦根命・市杵島姫命・天照大神

 

下谷上農村舞台

 棟札から天保11年(1840)再興とあることから兵庫県最古。更にそれ以前の歴史を考慮すれば更に古い物とされる。

 また舞台の規模と舞台機構・装置の精巧さから、日本で最古・最大で最も精巧な農村舞台といえる。

 精巧な舞台装置は花道に工夫があり、大規模な回り舞台、せり上げ、ぶどう棚などあらゆる装置が完備している。

 おしむらくは、昭和52年1月23日未明に焼失してしまった。

 昭和54年9月再建。

 

*昭和40年3月  兵庫県指定  重要民俗資料

*昭和43年5月  国指定    重要民俗資料

 

山田にはというより北区には農村舞台が数多く現存しているが、元々各集落に1箇所、社寺の境内に作られていた。                  

 本来、農民が歌舞伎などを観たり、演じたりすることは原則禁じられていましたが、やはり内側からこみあげるものは押さえきれないものがあったのでしょうか。

 このような贅沢をする余裕があったのは、この付近一帯が天領や幕府関係者の領地であったためとおもわれる。

 また娯楽の少ない当時では舞台芸能にたずさわるというのは、生きがいであり、ステータスでもあったと思われる。

 

東ノ峰城山(トウノミネジョウヤマ)

 山田中学校の北北東側にあり、天津彦根神社脇から山道をのぼり、その城のあった付近に行くことが出来る。

今は城跡らしきものは残っていないが、太平記・南北朝の争いが山田にも押し寄せた名残である。

当時は丹生山城の支城であった。

 鎌倉幕府の滅亡(1333)から建武の中興(1334)足利尊氏謀反(1335)     湊川の戦で楠 正成討死(1336)南北朝対立

 延元3年(1338)、丹生山城から社町方面に進出。

 延元4年(1339)近郊の寺院と結託、北朝に抗戦する。

           8月シブレ山方面で北朝側に破れ弱体化する。

興国元年(1340)北朝方、丹生山城および支城を攻略。

 

 この後、戦国時代にはいり、三木別所氏の支城となった。

 

学校連絡先

〒 651-1253
神戸市北区山田町中字
     長尾サ1番地
電 話 078-581-0055
FAX 078-581-0056
 

2009年5月18日設置

訪問者356697
35万人突破!感謝です!

アクセス

マップ↓

電車・バス
神戸電鉄有馬線箕谷駅より
神戸市バス111系統
「山田小学校前」
(乗車約9分)降車すぐ
 111系統時刻表↓

周辺
国道428号  呑吐ダム
丹生山  箱木千年家
六條八幡神社
 

2次元コード

以下の2次元コードから、モバイルサイトにアクセスすることができます。