「幸座の由来」
平安時代(12世紀中期)鳥羽上皇が摂津の国に行幸され、
丹生山田(現山田町原野)の豪族、栗花落邸にお立ち寄りになって
御製を賜りました。
「丹生山のくるすの花は先にけり
湧きて流るるつゆの井にして」
幸座橋の名称は鳥羽上皇の行幸の際の由来から、この呼び名
が伝えられた。(丹生山田ものがたり二版より)
下記の資料は、宮本正嗣 氏 の「かすみ草クラブハイキング」の原稿より引用しました。
幸 座 橋
平成18年9月に架け替え工事が竣工して、9月22日渡り初めの後、
供用されました。
「幸座」という地名がついたのはこのようないわれがあるといわれています。
普通に考えれば、「幸」は行幸。つまりは天皇がこの地に来られて、
「座」座る場所休憩された場所と解釈されるわけですが、
この由来は平安時代末期(12世紀中頃)に摂津の国へ行幸された「鳥羽上皇」が
山田にこられ、栗花落邸にお立ち寄りになって、御製(御歌)をたまわりました。(平治年間か??)
「丹生山の くるすの花はさきにけり 湧きて流るる つゆの井にして」
** くるす 栗栖 栗の木の密生した場所。または栗の産地の意
昔はこのあたり、栗の産地だったのでしょうか。来られたのは初夏の頃ですかね。
ただ単に栗の木があって花が咲く時期だっただけ??
日本語の表記の面白さと難しさの一つに、ひとつの事柄でも、何通りもの表し方が
あって、それぞれ違った意味合いを持っていることがあるのです。
* そんな良い例が皇室の方々などの表記です。
天皇、皇后、皇太子、親王、内親王に対する言葉がそれぞれ違うのですね。