神戸の自然シリーズ3 神戸のシダ
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1.誰もがシダを知っている

「何を調べておられるのですか。」
「ああ、ウラジロですか。」

 山道でシダを見ていると話しかけられる言葉である。

「薬草集めですか。いや、シダの採集ですか。」

 ポリ袋に採集したシダをいっぱい入れて歩いているときにかけられる言葉である。

「これはみんなシダですか。シダにもたくさんの種類があるのですね。みんな同じに見えるんですが。へえー。」

 袋の中のシダを取り出し、新聞にはさんでいる時に、話しかけられる言葉である。

 山で出会うどの人も、特殊なものを除いて名前はわからなくても、「ああ、これはシダですね。」と話しかける。シダというものの実物とシダという言葉が結びついている。

 しかし、実物を目の前にしないとき、シダという言葉に結びつくシダの姿は、どのようなものだろう。

 それは、人によって、住んでいる地方によって、ずい分違いがあることだろう。ある人には、ひょっとすると実物は浮かばず、教科書の文字や絵だけが想像されるかもしれない。

 はたして、シダとはどのようなものだろうか。

 シダの語源は、「下垂れる」という意味からきたという。ウラジロが日当たりのよい山の斜面に大きな葉をのばして垂れている姿と結びついた言葉であろう。ウラジロといえば、シダであり、シダといえば、ウラジロを指して言っている地方が今でも多いのほ、そのあらわれである。

 シダを「歯朶」とか、「羊歯」と書くように葉が櫛の歯状に裂けているところからその名がついたという説もある。今でも地方によってほ、正月のしめかざりに、ウラジロの葉を用いる習慣が続いているが、これは歯朶の歯が齢(よわい)、朶は技を意味することから「齢を重ねる」 「長生きをする」 さらに「子孫繁栄を願い、祝う」というようにだんだん意味が広がって使われてきたからであろう。

 シダの名は、シダ植物全般、やや狭い意味でほ、シダ類の全体の呼び名として用いられているが、一般には、シダといえば、われわれの実生活と結びついて、食べられるワラビ・ゼンマイ・ツクシなどとだけつながっているのではないだろうか。

 長く、寒い、たいくつな冬の季節から解放されて迎えた春の歓びをうたった次の歌ほ、今の時代にも生活の中で実感として受け取れる秀れた歌である。

 石激(いわばし)る垂水の上のさわらびの 萌え出る春になりにけるかも
(万葉集巻八、志貴皇子)

 垂水とは神戸の垂水の地名ではない。垂水とは滝のことであって、志貴皇子が詠んだのは、大阪府吹田市垂水神社のあたりであろうといわれている。

 前の年に準備された芽が春の暖かさとともに一斉にのびてくる。野原や林の中、岩場のシダの葉が春がまわってくるたびにたくましくのびてくる。春に山野を歩いてその生命力の旺盛さ、美しさに目を奪われ、心を動かされない人がいるだろうか。

 ワラビの成長のたくましさを書いた民話をあげておこう。


ワラビの恩』
野原でヘビが昼寝をしておりました。そこはカヤ原で、カヤが土から芽を出しかけておりました。

ヘビは、そんなことには、おかまいなく、ぐうぐう、ぐうぐう、なん日も眠っておりました。

カヤの芽は、ヘビの下からものびてきて、やがてヘビのからだを、つきぬけて、上へ上へとのびてゆきました。

やっとヘビは目をさましました。そうして、そろそろカワズでも食べに出かけようと思いました。

それで、ちょっとはいだしかけましたが、からだが動けません。どうしても動きません。しかたなく、しっぽをばたばたやったり、からだをくねくねさせたりして、もがいておりました。

ちょうどそのときです。ワラビが、ヘビの腹の下から、もえ出てきました。

ヘビが困っているのを見て、「ヘビさん、もうすこしのしんばうだよ。おれが、おまえのからだを持ちあげてやるよ。」 そう言って、くるりと巻いたまるい頭で、ヘビのからだを、ぐんぐん、ぐんぐん、もちあげてゆきました。

それで、ヘビのからだをつきぬけていたカヤの芽が、わけなくすうっと抜けていきました。

ヘビは、大よろこびで、「やれ、うれしや。ワラビさん、ありがとう。」 とお礼を言って、なんどもおじぎをして、はいだしました。

だからいまでも、野原などで、ヘビを見たら、「ヘビヘビカルカヤ畠に昼寝して、ワラビの恩こを忘れたか。アブラウンケン、ウンケンソワカ」と、三べんとなえると、ヘビワラビの恩を思い出して、かならず道をよけてくれるということです。

わたくしは、やったことはありませんが、一度ためしに、やってごらんなさい。めでたし、めでたし。 

(岩手県下閉伊(しもへい)郡)
−日本民話物語29 坪田譲治 岩崎書店−
青色文字は原著では傍点


 ウラジロ・スギナ・ゼンマイ・ワラビ......とあげていくと誰でも知っているシダはかなりある。

 シダの名前は、まぎらわしいものが多い。名前だけでほ、シダか、コケか、ランなのかわからない。以下は、採集時の笑い話である。

 神戸の裏山では、あまり見られないウチワゴケという小さいウチワ状の葉をして岩や木に着生しているシダがあるが、そのウチワゴケを見つけて内心ほほえんでいたとき、ある人に尋ねられた。

「これは、コケですか。」 「いや、シダです。」
「何というシダですか。」 「ウチワゴケです。」
「やっばりコケですね。」

 シダの名前もいろいろあって、話のように、ウチワゴケは、シダ植物だがコケという名がついている。このほかにも、コケとつくシダの名も多いし、シシラン・サジランというようにランとついたり、カズラ・ソテツとついたり、実物を知らないとシダとは受け取れない名が多い。

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