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あとがき
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この本のおもな内容は、昭和40年代の前半に行なった野外調査の記録によるものが多い。当時は住宅開発、トンネル工事が相次いで施行され、六甲周辺の山麓地帯が集中的に開発された時期であった。
その頃の私は、断層運動とか地質構造といった大地の動きや、その組み立てを研究する領域とは無縁といえるぐらいにかけ離れた中生代末(7000万年前)の貝類化石の研究をつづけていた。
しかし、新しい断層が発見されたとか、地底深くで破砕帯に遭遇し、トンネル工事が難行しつつも貫通したというニュースがはいるたびにその現場をたずねていた。地元に住む地学に縁あるもののひとりとして当然のことであるが。しかし、たぶんに珍しい物見たさ、新しい情報を吹聴したさの野次馬根性にかられてその都度、顔を出していた、といったのが本音であろう。そしてシャッターを押しさえすれば、確実に写真になる天気晴朗の日をえらんで、それらの場面を記録しておいた。それから十年経過した現在、これらの記録は、かなり重要な価値をもっていることがわかってきた。
私の研究所で「神戸の自然シリーズ」の出版が計画されたとき、私は専門の花粉分析をとおしてみた神戸の森林の生い立ちと変遷を執筆するつもりでいた。ところが試料の分析処理が意外に手間どったため、放射性炭素法や残留磁気による年代測定や対比のクロスチェックが大幅に遅れ、結局、刊行予定内に発刊できる見通しが立たなくなった。そこで、その代案としてこの「六甲の断層をさぐる」を書くことにした。
断層や地質構造の専門家であれば、しっかりした理論に裏付けられた格調高い観察の手引きが書きあがったにちがいない。疑義を生じる個所の多いこと、適切な説明・表現をとりちがえているところもまた多いと思う。何れも筆者の不勉強に原因するところである。ご容赦いただきたい。
昭和52年(1977年)、哲学者の上山春平氏(京都大学人文科学研究所)を案内して六甲の断層地帯を一日歩いた。あとで同行の藤田和夫氏(大阪市立大学)から聞いたのだが、上山氏は白水峡の断層粘土を大事に持ち帰り鳩笛をつくられたそうである。
私はこの本を読まれた方のうち何人かは、五助橋断層や白水峡の六甲断層の断層粘土に直接手を触れ、断層の動いたあとを肌で感じとっていただけるものと期待している。そうすることによって、自然とのつき合いがはじまるのだと信じている。また、子どもを野外に連れださなくても、教師自身が自然との交際の経験があれば、教える中味も強い説得力をもって子どもに働きかけるものと思う。
この本の完成にいたるまで多くの方々のご協力をいただいた。とくに藤田和夫、杉村新両先生には、本書の内容や資料などについてご指導いただいた。鉄建建設株式会社の桜井三男氏、日本国有鉄道大阪工事区の村川孝一氏、神戸市道路公社の大野公男氏には再三の取材、資料のご提供に快よく応じてくださり、また、栗村浩史氏には図版をお願いした。さらに神戸市立教育研究所の近藤所長をはじめ所員のみなさまには、本書の脱稿まで非常なご迷惑をおかけしたことをお詫びするとともに、記して深く謝意を表したい。
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