神戸の自然シリーズ3 神戸のシダ
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 1.食べられるシダ

 5月の連休の頃、神戸の裏山を歩いていると、ワラビ・ゼンマイ摘みをしている多くの人に出会う。最近の山菜ブームがそうさせているのかもしれないが、人間の本性的な自然への回帰ではないかとも思われ、ほほえましい。

 さて、食べることと結びつくシダで、まず、筆頭にあがるのは、ワラビ・ゼンマイ、それに次くのがクサソテツ・ツクシである。


・ワラビ

 ワラビは、日本では大昔から食べていたようで、何とはなしに春の香りを運んでくれる趣きのある野草である。

 アクが強いので、アク抜きをしてからでないと食べられない。木灰をふりかけ、その上から熱い湯を注いでそのまま一晩置き、冷たい水によくさらしておいてから、調理して食べる。大量に採集したワラビは、塩漬けにされる。塩漬けにしておくといつも青々としている。神戸などの都会には、各地で塩漬けにされたワラビが出回っている。

 最近では、ワラビの栽培が行われてきている。山採りのワラビが4−5月に集中するので、促成栽培で採取の時期を早めたり、あるいは遅らせるなど、いつでも採取できる工夫をし、市場の価値を高めていく。そこに着目したのがワラビ栽培農家である。

 ワラビを食べる風習は、アメリカやヨーロッパの国々にはないようだ。ワラビは、アノイリナーゼという酵素を含み、腸内でビタミンB1を分解し、なくしてしまう。また、多く食べると吹出物ができたり、妊婦の流産と関係があることなどから、ワラビを有毒植物として扱っている国もあるようだ。

 人間以外の動物、例えばウシでも、ヒマラヤ山中に放牧されているときは、ワラビを食べないが、飼料として与えてやると食べ、与え続けると脚気(かっけ)の発生率が高くなることがあるといわれている。また、ウシと比べてもっと敏感な動物のウマは、飼料の中に20%以上のワラビを用いると1か月後には、瀕死の状態になるといわれている。

 しかし、以上の例は、生のままで、ワラビに含まれるアノイリナーゼをとらずに食べた場合であって、普通、よくゆでて食べると問題にはならない。むしろ、春の山菜の王者としてのワラビは、ひたしもの・あえもの・味噌汁の実・そして根茎からデンプンをとってわらびもち・わらび団子......などで楽しんでよいのではないか。

 岡本高一氏「花ある記」(のじぎく文庫)のワラビの項の中に、姫路で聞いた話として、次のことが書かれている。

「戦国武将は、築城の際、城中に用いるタタミにワラビを乾燥させてタタミの床材料にし、いったん寵城の際、このタタミの床をほぐして食料に利用した。」

と、ワラビを使った日本人の生活の知恵が感じとられる。

 江戸時代の儒学者、貝原益軒の農業書の「菜譜」にも、「ワラビ(蔵)は、貧民の飢をたすけ救う事クズ(蔦)にまされり。3月めだち出ては根に粉なし。(注=貯蔵澱粉がない。)9月以後、2月以前根をとる。半年の食とすべし。甚民食を助く。」と、ある。どうやら、日本人が生きていくために欠かすことのできなかった野草の一つだったようである。


・ゼンマイ

 日本中のどこにでも生えているシダで、やはり、若芽を食用にする。ワラビほど食べる機会が多いとはいえないが、市場では乾しゼンマイとして売られ、食べるときには、湯でもどしてから調理する。乾燥山菜の味の王者のシダである。蛋白質や炭水化物も多く、栄養価も高い食品である。東北の各県が産地である。

 前掲の貝原益軒の書には、次のように書かれている。

「ゼンマイ(紫蕨)、紫きとも云、ワラビの類や其苗の頭の形巻きて、銭に似たり。是亦生に食すれば味よからず。煮て干して食すべし。或塩につけてよし。ワラビより味よし。加賀より出るはよし。根をとりてワラビ粉のごとくして餅とす。甚だよし。ワラビにまされり。」


・クサソテツ

 「神戸のシダ十二話」のクサソテツの項で述べたように、クサソテツは、太い根茎からいっばい葉を出す。その葉の軟かくて、みずみずしい様子から思わず口にしたいという欲もわいてくる。

 アクが少ないので生のままでも食べられるが、2−3分ゆでた後、水にひたしてアク抜きをする。緑色の美しさはそのまま残り、ひたし・汁の実・天ぷらなど、どんな食べ方をしてもおいしい。

 高村光太郎は、「コゴミの味」という一文に次のように書いている。(一部略)
「コゴミ」の味
 その辺から藤原の村に入る。桑畑と水田とが山峡にまばらにあって草屋根が飛び飛びに見える。路傍に一軒ある「おん中食」に足を入れると土間が広く大きな囲炉裏がある。家人は皆畑に出ていて意外に上品な娘さんとその妹と2、3羽の鶏とが留守をしている。ここで食べた野草の味が忘れられない。ワラビのようだがワラビよりも歯ぎれよく、ぜんまいのようだがぜんまいよりもしゃっきりしている。ただの煮つけではあるが、その色青磁の雨過天青という鮮やかさにまがい、山野の香り箸にただよい、舌ざわり強く、しかも滑かで、噛めばしゃりりといさぎよい。分厚なお小皿に無雑作に盛られたのを黄塗りの長い竹箸でつまみながら、「これは何ですか」ときくと「コゴミ」だという。「コゴミって何ですか」ときくと「山にあるワラビみてえなもの」だという。私は懐から植物図鑑を出して引く。「クサソテツ」の事と分った。あの範谷の湿地を埋める獰猛な「クサソテツ」の芽がこんな微妙な高雅な前菜ものとなる事を知り、西国の落武者の隠れ里であったというこの藤原の村の娘の面だちに今でも残るゆかしい余薫と共に、今日まだ忘れ難い記憶となっている。

(昭和13年「新風土」高村光太郎全集九巻・昭和32年・築摩書房)

「写真は山形の中央市場の山菜コーナーで出荷を待つコゴミである.1箱4kg入りで,東北ではまだ温室栽培品で,季節のさき取りをして出荷されている.ここから出荷され,スーパー百貨店・露天商・朝市に並ぶのが東北山菜の実態で,山菜という名の蔬菜である」(5月上旬,山田幸男氏)



 クサソテツは、家の庭に構えて、緑の鑑賞とともに山菜の味を楽しむのに勧めたいシダである。根茎からランナー(匍匐枝)を出してどんどん繁茂していくし、特別の世話をしなくてもよい。

 このクサソテツほ、日本だけでなく、アジア大陸北部・中国・ヨーロッパ・北米にかけて分布し、多くの国で食用にもされている。伊藤洋先生(東京教育大学名誉教授シダ学者)の「食べられるシダ」(「シダの会報」)を読むと、第二次大戦前、アメリカ合衆国東海岸のカナダと境しているメイン州では、このシダの味を知った人が事業を始め、毎日採集して、急行便でウォータビルの町へ出す。それが、ニューヨークのホテルに出るようになった。だが、第二次大戦中、労働力不足や霜雪のため、うまくいかなかったことなど、詳しく書かれている。


・ツクシ

 ツクシがスギナの胞子茎であることは、前にあげた。ツクシは、芽が出るとあまり熟さないうちに摘んできて、ハカマを取り去り、アク出しをしてから食べる。あまり美味とは思われないが、ゴマ・しょうゆで和えたり、ちらしずしにのせたり、ツクシ飯にしたりして食べる。摘みたての胞子のう群のほろ苦さを春の宵に味わうその道の通もおられるようだ。スギナもごく若いうちに食べるが、多量の硅酸分を含んでいるのでいつでも食べるわけにはいかない。

 スギナを食べるのは、人間のほかに、ウサギ・ウシ・カタツムリなどだが、スギナのおい茂る世界で一生を暮らすハバチ・イモゾウムシなどの昆虫もいる。そのほか、食べられるシダとして、日本では、ミズワラビ・ヤマドリゼンマイなどがあるが、どこにでも生えていて見られるというものではない。

 外国では、東南アジア・太平洋の島々にかけて分布するクワレシダも、よく食べられるし、また、木生シダのへゴも食用にされている。

 シダにはシダ独特の味がある。香り・苦さなど種類にょって違ってはいるが、みな似たような特別の味を持っている。それは、もちろん、味の成分すなわち、特別な化学物質を含んでいるからだろう。この化学物質は地球の歴史の中で大きな役割をはたしてきたようだ。さきの伊藤洋先生の「食べられるシダ」の文中、興味深い説が紹介されている。

 すなわち、地質時代の中生代にあれ程繁栄を極めわ恐竜などというは虫類がなぜに完全な絶滅の憂目を見たか、という疑問に対する解答として、一般には、気候の変化・恐竜の卵を食う哺乳類の出現など、いろいろな角度から説明されているが、気候条件の変化が、植物界に変化を生じさせると同時に、動物界にも大きな変化を生じさせたことを、具体的に説明する一つの説である。それは、イギリスの生化学者で、E・ボールドウイン氏の説である。「その頃まで植物界の王座を占めていたシダが、だんだん種子植物によって置きかえられた。その結果、爬虫類の餌に大変化が起こった。そのため、たくさんの爬虫類が便秘によって死んだ。つまり、シダには下剤的作用のある油が含まれているが、種子植物にはそれがないからである。」

 すなわち、恐竜絶滅に対する便秘説である。

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