神戸の自然シリーズ1 六甲の断層をさぐる
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荒れた山の記録

 人口100万人以上の指定都市のなかで、神戸市ほど緑豊かな自然に恵まれている都市は、他には見られない。

 六甲の山肌をびっしりと埋める緑は、市民の心をうるおし、山崩れを防ぐなど有形無形の恩恵を与えてくれている。この山がいかに市民に親しまれているかは、すでに述べたょうに年間の登山人口が300万人にものぼることからも容易に理解されよう。

 ところが、一たび集中豪雨に見舞われると昭和13年、42年のように、その緑をはがしとり、尊い人命を奪いとる魔性の山と化してしまう。

 このように、きわだって異なる二つの側面をもつ六甲山の両面性が、正しく市民に理解されているだろうか.緑の背景としての六甲、想いの場としての六甲のみが印象づけられていないだろうか。「天災は忘れたころにくる」とは、寺田寅彦の有名な警句であるが、六甲はどれくらい風水害を起しているのだろうか。かりに昭和だけで、その主なものをあげると、

 昭和 9年 (1934) 室戸台風
 昭和10年 (1935) 豪雨
 昭和13年 (1938) 阪神大水害
 昭和20年 (1945) 阿久根台風
 昭和25年 (1950) ジェーン台風
 昭和28年 (1953) 13号台風
 昭和32年 (1957) 豪雨
 昭和35年 (1960) 16号台風
 昭和42年 (1967) 集中豪雨

阪神大水害をもたらした昭和13年7月3〜5日の雨量(西宮市史)


のように、数年おきに自然災害におびやかされてきている。

 とくに残念なことは、しばしば人命が奪われていることである。昭和13年の阪神大水害には600名、昭和42年の豪雨では生田川中流の市ケ原の山崩れで多数の犠牲者がでたが、全市では死者・行方不明は100名余にのぼった。

 昭和13年の阪神大水害の模様を再録すると

 7月3日より断続的に降っていた雨は、5日朝になると、しだいに激しさを加、午前8時から正午まで1時間当り41ミリという記録的な土砂降り状態が続いた。梅雨明け前に特有な局地性豪雨型の強雨である。

 六甲山上の高山植物園では、総雨量は616ミリに達したが、市街地にある神戸海洋気象台でも461.8ミリを記録した。

 このため、六甲山系の各地には山崩れが頻発し、河川は濁流と土石流を運ぶベルトコンベアと化し、大量の土砂を山麓の川の出口から市街地にむけ、巨大なホースのように吐きだした。その惨状は、死者・行方不明が600名をこえた事実からも、想像以上の凄じさであったことがうかがえる。一朝にして市街は泥潅の廃墟と化し、山肌は無残に切りさかれ、緑の木立は敷物をはがしたように表土とともにはぎとられ、町へ海へと運びさられてしまった。

 この阪神大水害の原因は、短時日の記録的な豪雨にあるが、それをうけた六甲山の側にも、もろく、崩れやすい、この山の体質がそれに相乗効果をあたえたといえる。六甲山の体質は、もう繰り返すまでもないが、花こう岩に見られる、小は鉱物単位にひび割れている状態から、大はメートル単位の節理におよぶさまざまの割れ目をもつことである。六甲山を生んできた、地殻に働く圧縮力の影響が、ときとしてこのように災害としてあらわれる。

 それでは、神戸に住む人々は、記録的な風雨時には、手をこまねいて荒れる状態を傍観するより術はないのであろうか。

 さきの阪神大水害のとき、阪神間が潰滅状態にありながら、ただ二か所だけ無被害の地域があった。それは武庫川の支流で宝塚市を流れる逆瀬川と太多田川の流域であった。

 ここでは、じつに明治28年以来、両河川の流域と、その水源地に対して砂防工事が継続されていて、この水害発生の6年前に、工事はすでに完了していた。戦争などの社会情勢のもとで中断することもあったが、この半世紀におよぶ地道な治山事業の成果が見事に結実したのであった。

 砂防工事は山腹や尾根などの岩肌の露出している裸地に、野球場のスタンドのように階段状の幅狭い平坦地をつくり、オオバヤシャブシやニセアカシアなどを植樹する。オオバヤシャブシは緑の大きい葉のまま、チッ素分をもった状態で落葉し、ニセアカシアは根りゅう菌をもつ特性をいかしたものである。これらの人工植林が生長するにしたがって、土中に根を張り花こう岩の風化・浸食による山崩れを防ぎ、土石流の発生をおさえる。また、川の上流・中流など流れの速い個所には堰堤(ダム)を設けて急激な土砂流出を防ぎ、さらに下流部では、天井川からの溢流を防ぐため堤防を築き、河道を安定させている。

 前述の逆瀬川・太多田川の効果と、水害地の惨状を重くみた政府は、国営事業として六甲山の治山治水にとりくむため、東灘区住吉に六甲山砂防工事事務所を設立し、現在にいたっている。

 ところで、砂防ダムは一つの河川にいくつも設けられているのはなぜだろうか。

 これは、水の勢いを弱めるためにいくつものダムをつくっているのである。どんなに速く流れてきた渓流でも、一度ダムに流れこむと水の勢いはすっかり衰えてしまう。つまり海に入った状態と同じになる。いま、図のような簡単な実験をしてみると、その関係がよくわかる。ビー玉を高い位置で離すと、勢いよく転がり落ちて、反対の斜面にかけのぼる。ところが低い位置で離すと、かけのぼるのもわずかである。高い位置にある位置のエネルギーが運動のエネルギーに転化しているようすが理解されよう。

 傾斜のきつい急流ほど谷底を掘り下げ、谷壁をけずりとって川幅をひろげるエネルギーを多くもっている。一本の川の何個所にもダムがあるのは、水は何度も流れをゼロにされてしまい、川をけずるエネルギーをなくしてしまうことになる。

 六甲の河川にかかるダムは流出する土砂をくいとめ、水勢を弱めることのほかに弱い岩盤を補強する役目をしているものもある。ダムの設置場所が、断層破砕帯に近接している場合が多い。

 山の緑を守ることは、人と自然との調和を保つとか、自然保護または環境保全の立場からなど、ややもすればスローガン化され、かけ声だけに終るような印象をうけることがある。

 しかし、背山に六甲をもつ神戸市民にとって、六甲の緑を守ることは、生活環境を防衛することにほかならないのである。緑の衝立は、生命の衝立である。神戸市政の基本理念に安全都市をめざすことを真先きにかかげているが、これは山接して海にいたるところに住むわれわれの生活理念のひとつでなければならない。

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