神戸の自然シリーズ16 神戸層群の化石を掘る
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神戸層群について

タイトルの「神戸層群」というのは、何をあらわしているのですか。層群という語からは、地層の群れというイメージをうけるのですが。

「そうです。神戸層群というのは、次の図のように六甲山の北側一帯にひろく分布している地層全体をまとめていうときの名前で、地質学上の名称です。

 神戸層群の地層は、大きく見て三田市から三木市へかけて分布している地域と、神戸市の西部にある白川・名谷方面を中心に広く分布する地域とがあります。」

図1.神戸付近の地質略図 (笠間 1971)
1.第四紀層、2.第三紀層(神戸層群)、3.基盤岩類、4.断層


地質図では、三田〜三木のほうが広い面積なのになぜ、神戸の名前を頭にもってきて神戸層群と名づけたのですか。

「これには、次のような研究上のいきさつがあるのです。須磨区の白川峠付近には、昔からきれいな木の葉の化石が採集でき ”白川の化石”として広く知られていました。そのために神戸層群の研究は三田付近よりも白川を中心にした神戸のほうで早く研究されたのです。

 神戸層群を本格的に研究したのは、故鹿間時夫博士で1938(昭13)年に「神戸層群とその植物群」という論文を地質学雑誌に発表しました。

 鹿間博士のこの論文は、次のように第1行から書き出しています。『神戸層群とは明石海峡付近に発達する第三紀層に対して筆者の与えた名称である。神戸層群は岩屋層、丸山層、多井畑層、白川層、多井畑介(貝)化石層等に分れ、岩屋層は淡路島北部に分布し、浅海性の介(貝)化石に富む砂岩に勝った地層であり、他は明石海峡の北岸に分布する』 これでおわかりのように、神戸層群の命名者は鹿間博士です。

 神戸層群としては神戸よりも分布の広い三田一三木方面は、もっと後になって研究が行われました。そして現在では、この両方の地域の地層を一まとめにして神戸層群と呼んでいます。


それでは神戸層群は全部重ねるとどれくらいの地層になるのですか。

「そうですね。三田地域では下から上へ、3つの区分け(累層)をしています。

有野累層(ありのるいそう) 約175m
吉川累層(よかわるいそう) 約180m
淡河累層(おうごるいそう) 約190m

 全体で545m以上の厚さがあると報告されています。ほぼ550mの厚さの地層ですね。神戸地域では、やはり下から上へ3つの累層に分け、それぞれの厚さは次の通りで、300m近い地層です。

多井畑累層(たいのはたるいそう) 約 90m
白川累層(しらかわるいそう) 約120m
藍那累層(あいなるいそう) 約 70m


そんなに厚い地層は、どんな所にたまった(堆積した)のでしょうか。海ですか、湖ですか。

 「この本の化石をみていただいて、ある程度想像がついておられると思うのですが、神戸層群の化石の大部分は陸上に生えている植物の葉です。神戸層群は湖のような淡水域に堆積した地層であるというのは、海の生物の化石が見つからないためです。

 しかし、神戸地域の多井畑累層から海の貝化石が出ます。したがって初めは海だったんですね。貝の化石は県立友が丘高等学校の近くから出るのですが、化石の保存状態は悪く、貝殻がとけてしまって残っていません。正確な貝の名前がわかりにくいのですが、オキシジミやエガイの仲間の化石が出ています。暖流の影響下にあって、汽水性の砂泥底にすむ種類が多いのが特徴です。

 明石海峡をこえた淡路島の岩屋にも神戸層群の延長にあたる貝化石の出る地層があります。


ところで、この本には非常に保存の良い化石がたくさん掲載されていますが、大昔の木の葉が、どんなしくみでこんなに完全に近い形で残ったのですか。

 「保存の良い化石ができるためには、葉が水底に運ばれて粘土や砂におおわれるとき、速く埋められれば速いほど形や微細構造が損なわれることなく良い化石になります。食料品の真空パック保存法のように、神戸層群は火山灰パックといえるぐらい速く火山灰に包まれたのです。


その白い火山灰からできた凝灰岩ですが、この岩石はどんなにしてできたのですか。

 「白い岩の正体は、火山活動にあるのです。火山活動と地層とは少し話が違うように思われるかもしれませんが、火山爆発の時、大量に噴出された火山灰が空から降り、山といわず、野といわずすべてをおおいます。それが湖に運ばれたり、湖面から直接沈んだりしたものが湖底に積もって長い間にかたまって白い岩になったのです。

 神戸層群の地層をよく調べると西にいくほど凝灰岩の枚数も多く、厚くなることから、西の方に火山灰の噴出源になった火山体があったのではないかと考えられます。でも、神戸層群に多量の火山灰を降らせた火山がどこにあったのか、いまだに明らかにされていません。


−神戸より西方といえば大山火山もあるし、阿蘇火山などもありますが。

 「普通の火山が円すい形の火山特有の形をしているのは、せいぜい何十万年の間で、神戸層群ほど古くなると、噴出源の火山体はもう残っていません。


ところで、この美しい植物化石からどんなことがわかるのですか。

 「まず、当時の植物相(フローラ)です。大きくみて、二つの特徴があげられます。その一つは、シュロ属、ビロウ属、フウ属、アデク属、メタセコイア属、シマモミ属、コウヨウザン属、ヒノキバヤドリギ属、などに見られるように、現生種が中国南部、台湾のような亜熱帯に分布している植物の多いことです。もう一つは、ブナ属、ケヤキ属、コナラ属、ナナカマド属、カエデ属、などで現在の温帯地方に分布する系統の植物が産出する点です。

 後でも説明しますが、その頃は亜熱帯的な暖かい気候から、四季の区別がはっきりする温帯的な気候に変わりつつあった時期だと考えています。

 しかし何といっても重要なことは、植物がどのような進化のコースを経て、現在の植物群をつくるようになったかという植物進化の研究に役立つ点です。神戸層群の植物化石を属レベルでみると、半数近くの属が現在の植物に直接つながっています。今の六甲山の森林は、自然の状態(自然林)のものが失われ、その後回復したコナラやアカマツなどの二次林からできています。幸いにも、山頂近くのブナやイヌブナ林や中腹のモミ、ツガ林などがわずかに自然林の要素が残っています。それらのルーツを訪ねて行くと、そのおおもとは、この神戸層群のフローラに行きつくのです。


そうすると、神戸層群の森が息づいていたのは今から何年ぐらい前になるのですか。

 「何年という年数では表現できぬぐらい大昔です。およそ1500万年前だと推定されています。どんな方法で1500万年前の年数を出したのかというと、神戸層群から直接役立った年数測定のデータはないのですが、多井畑累層や淡路島の岩屋累層の海成層と同じ時期の地層中の有孔虫化石をもとに調べて、N9という時期に近いとされています。そして、N9の海成層に接する火山岩のカリウムーアルゴン法による年代測定で1500万年前後の年代が測定されています。

 神戸層群では私たちが測定を依頼した学園東町の藍那累層の火山灰中のジルコンを試料にフイッショントラック法で測定した値は31.4±1.9(Ma)、3140万年±190万年前と出ています(KER−6)。さきの年数に比べると2倍近い古さの年数です。他地方の年代値とは一致しませんが、1個だけの測定結果でもあり、測定法をも含めて今後の問題にしたいと考えています。

 また神戸層群は地質時代でいえば、新生代新第三紀中新世に属します。
※現在では3500万年前に出来た地層と考えられています。

▲図2.中新世中期の古地理図 (糸魚川・津田 1986)


−その頃の日本列島の自然環境はどんな様子だったのでしょうか。

 「まず、神戸を中心にした西日本の様子を見てみましょう。海は太平洋側の紀伊水道から入り、大阪湾、播州平野を経て岡山県から鳥取、島根県につながっていました。この海は暖かく、岡山県の津山付近などから今は亜熱帯にみられるマングローブ林の化石が産出しています。さらに能登半島や佐渡などからサンゴ礁の化石も出ています。現在に比べて一段と暖かい環境下にあったといえます。

 図2の中に神戸に横すじの模様が入っている淡水域(湖)があります。ここが神戸層群です。そしてこの時期は、神戸層群の湖が出現しはじめた頃です。この本の化石はもう少し後の時期になり、気候は亜熱帯的気候から温帯的気候に移りかけていました。

 次に日本列島全体をみますと、現在とは非常にかけ離れた所に日本列島が位置していたことが、最近の古地磁気学の研究でわかってきました。1600〜1500万年前の日本列島はアジア大陸のそばにあり、その頃から日本海が拡大しはじめ、西南日本は時計回りの方向に回転するように、現在の位置に向って移動をはじめていました。

 太い矢印は暖流の流れた方向を示しています。


図3.日本海拡大前 (1600〜1500万年前) の日本の古位置
(小泉 1986より)


 実に壮大なスケールの日本列島誕生の一コマにあたるのですが、日本列島がアジア大陸と離れ、日本海側と太平洋側といった環境が、はっきりしはじめたのもこの頃です。気候も現在より暖かったものの、しだいに温帯的になり、やがて寒さ(氷期)と暖かさ(間氷期)が交互に訪れる第四紀に入り、現在にいたります。


図4.新第三系の地層や火成岩の分布 (Tsuchi 1981)
1.堆積岩、2.火山岩、3.深成岩
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