神戸の自然シリーズ16 神戸層群の化石を掘る
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あとがき

 私が神戸層群の化石に初めて出会ったのは、小学校4年生の時でした。友達と夏休みの理科作品をつくるために、家から近くへ植物化石を取りに行ったのが最初でした。

 次の年の理科作品展に、名谷小学校の理科クラブの人たちが集めた植物化石が展示されていました。その中に神戸から取れる代表的な化石として、メタセコイア、セコイア、シュロ、フウの4種があげられていました。その当時の私にはそこに出品されているような化石は発見することができなかったので、なんとかして見つけてやろうと思ったものです。このときの発見したいという強い意欲がそれ以後の私をささえてきたのかもしれません。

 それからずっと現在まで化石採集を続けてきましたが、今では約8000点にのぼる化石を採集しています。この膨大な化石をまとめて神戸の自然シリーズにと思ったのですが、調べれば調べるほどわからないことがたくさん出てきて、系統的に整理できませんでした。そのために、この本ではタイムマシン神戸フローラ号でみなさんを化石採集の現場に案内し、採集のお手伝いをさせていただいたのにすぎません。みなさんに、神戸からこんなにすばらしい化石が出てくるのだということがこの本を通してわかってもらえたらと思っています。

 化石の多い神戸市西部は、いま開発が進み、化石産地は急速に消滅しています。失われた化石産地と産出層準を正確に記録する意味で、地形図と柱状図にそれらを表現しました。第4章でも述べましたが、神戸層群の化石は、植物の進化を研究する上で、非常に重要な役割を果します。この神戸市民として世界に誇りうる学問上の財産を永久に保存してもらえたらと強く願っています。

 この本は、私にとっては神戸層群研究の第一歩であります。今回は事実にもとづいて書くように心がけました。この研究を進めるにあたって私はいくつかの困難点に出会っています。それは、植物学や地質学に関する基礎知識についてです。

 化石種の同定をより正確にする上に現在の植物学に関する知識が必要であり、化石を採集した場所を地質学的なルールにしたがって記録しておかねばなりません。そして新種は英語やフランス語、ラテン語などで発表されるのが古植物学の習慣になっていますから、その方面の情報に気を配っていなければなりません。神戸層群の化石を科学として研究の完成をめざすためには、こうしたことが必要です。これらのことを、乗り越えてこそタイムマシン神戸フローラ号が完成されるものだと考えています。

 また、この本は私が昭和59年から3年間、研究員として教育研究所で研究した研究報告にあたるものです。

 この本をまとめるまでに、実に多くの方の御指導をいただいたり、便宜をはかっていただきました。とくに前北海道大学教授棚井敏雅先生には、神戸まで化石を見にきていただいたり、幾度となく御指導をうけました。また、国立科学博物館の植村和彦先生にも御指導をうけました。

 小学校からの親友で、いまでも化石採集を一緒にしている宮津時夫氏にもたいへん重要な情報や資料の提供をうけました。また、堀治三郎氏にも化石産地の情報などを教えていただきました。

 さらに神戸の自然グループの先生方からは現地調査の協力と本書の構成について貴重な意見をいただきましたが、特に教育研究所の前田保夫指導主事には、標本の整理やこの本の編集などでお世話になりました。

 神戸市開発局や土木局、環境局の関係の方々には化石採集の便宜をはかっていただきました。

 最後に北五葉小学校長石原校長先生はじめ諸先生方、神戸市立教育研究所の川田尚介所長および所員の皆様には、いろいろ御援助を賜わりました。ここに深く感謝いたします。


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