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あとがき
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私がポートアイランド予定地の海上ボーリングの現場を見学したのは、昭和40年頃である。その後、昭和45年には、海底を掘る浚渫(しゅんせつ)船に乗せてもらったり、地震計や地盤沈下計の設置に関連して行なったボーリング調査の現場を見せてもらったりした。このような機会をとおして神戸の自然史の研究資料がしだいに集まってきた。
そして昭和46年に、はじめての潜函による地質調査を阪急梅田駅で経験した。それがきっかけになって大阪湾の成立過程と沿岸地帯の森林変遷の研究に本格的にとりくむようになった。その間にいくつかの論文を発表したが、昭和53年には玉津環境センターの調査をはじめ、このときから共著者の久後先生がこの研究に加わった。十数年にわたる研究といえば聞えはよいが、何しろ学校勤務の合い間に研究をすすめたのである。ふつうの研究者であれば、この何分の一かの期間で達成できる内容である。
不十分であるが、この小冊子にとりあげている内容が、理科教材として扱っていただけるならば、筆者らのもっとも喜びとするところである。日常私たちが接している身近な自然を、地球科学の手法でほぐしてみたのが、この本のねらいとするところである。いわば足許の科学というか、毎日六甲の緑をながめ、足でふみ、通勤途上にふれる土地の生い立ちについて述べた。
神戸の自然の生い立ちをつづるという、自然そのものを記述の対象にしながら、それに関わった人の名が多く登場してくる。見方によっては過度にわたると思われるかも知れない。けれども、これは私が意識的にとりあげた書き方である。その理由は、地層や化石などを学問的に記述するだけでは、その素材に関する調査がゆきとどき、また、どんなに平易に表現しようと、なかなか読んでもらえないのである。
私はこれまで何度か依頼をうけて、海底下の地質調査の話をしてきた。話の内容が、ふつうには経験できないことなので、たいていの場合、その話はうけてきた。けれども一度だけ失敗したことがある。そのときは「私」という一人称はほとんど使わないで、地質学的なすじみちにのって話をすすめたところ、出席者の反応は非常に低調であるように思えた。このことがあってから私は地球科学の話のときは、研究史とか、研究にかかわるエピソードをおりこむことにしている。やはり、人間が登場しない話は親しみがもてぬようである。
巻末に、神戸市およびその周辺の地層の14C年代測定値をあげた。これをみると私の手許には、30,000年前までの試料がかなりあつまっている。ところがこの本にはそれらの半分も活用できなかった。これは何としても心残りである。いずれ近い将来に機会をみて発表したいと思っている。
この小冊子の執筆にあたって、文中に登場してくる多くの方々にご指導をいただいたが、わけても海底下の潜函で、素人の私の生命を守ってくださった工事関係者のご協力に心から感謝したい。また、中堀所長をはじめ神戸市立教育研究所のみなさまにはいろいろご援助をいただいた。記してここに深く謝意を表する。
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