神戸の自然シリーズ21 六甲山はどうしてできたか
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6.六甲山はどうしてできたか

新神戸駅上空からみた六甲山と市街

 「この山はどのようにしてできたのですか」と開かれたときの回答は、その山を構成する岩石の種類とか、地質構造のメカニズムなどが説明の中心になるのであろうが、要するにこの山は、今から何年ぐらい前に、こんなしくみでできたのだという2点がもっとも重要なポイントではなかろうか。

 ここでは六甲全山縦走コースで試みた地形と地質見学の成果をふまえて、六甲山地の成因説をやさしく解説してみたい。以下の解説はおもに『新修神戸市史第1巻』の「大阪層群と六甲変動」を参考にまとめた。

 まず最初に六甲山地が上昇をはじめる約100万年前までの六甲地質について年代を追って説明する。その大要は次の地質略図と年代表にまとめているので、これだけで充分かも知れないが、あらましは次のようになる。


六甲山地とその周辺の地質(藤田・笠間1975)

六甲変動までの六甲山地

 古生代の石炭紀から中生代のジュラ紀にかけて海底だったが、ジュラ紀の地殻変動によって陸上にあらわれ、アジア大陸の東のはしを占めていた。およそ1億年前、その陸地(丹波層群)に大量のマグマが噴出する白亜紀火成活動が始まる。六甲山地の北側に広く分布する流紋岩類や小規模であるが住吉川でみた流紋岩類がこれである。その火成活動は大規模かつ激烈をきわめたもので、阿蘇カルデラと同程度のカルデラ(火山体の陥没した凹地)を3回にわたって形成したのが、今の神戸市北部に残っている(神戸市史)。

 この流紋岩マグマに近い成分のマグマが地下で冷却されて六甲の花こう岩類が生まれてくる。その年代はほぼ7千万年前の白亜紀末である。

 その後、丹波層群も流紋岩類も花こう岩類もともに地表で浸食を受ける陸地の時代が新生代の中頃まで続く。約3千数百万年前か、1千5百万年前ごろ(2つの説がある)、日本海の拡大がすすみ、日本列島は時計回りに移動し現在の地理的位置に近づいた。この時期に六甲山地の北の三田盆地を中心に湖ができ、湖岸には亜熱帯から温帯性の植物が繁茂したが、湖はやがて消滅する。その湖成層は神戸層群とよばれ、三田盆地のほか六甲山地の東部や神戸市西部にも分布する。

 その後、陸地化の時期が続くが、200万年前ごろ、今の瀬戸内海を淡水化したような広がりをもつ湖が出現する。数十万年から100万年にわたる湖の時代が続き、湖岸地方にはメタセコイアの森が茂り、アカシゾウが生息した。

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