神戸の自然シリーズ6 神戸の野鳥観察記
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■2.モズ −速贄と物真似
時にはモズにねらわれるツグミ

2.モズの食物

 モズは肉食者であるから植物質の餌はほとんど摂らない。冬はわずかに木の実や種子を食べることはあるらしいが、それは例外に近いケースである。

 モズの嘴の先は鍵のように曲り、鋭くとがって、小型ながらタカそっくりである。小鳥の中にありながら、猛禽の威厳をもちあわせているのも、この嘴と、大きく鋭い目付きのせいである。つかまえて咬まれると出血するほどこの嘴は威力がある。また、いったん喰いつくと、執拗に食いさがり、なかなか離さない。

 モズはどちらかといえば、地上の餌をとることが多い。それも森の林床にみられる腐葉土の多いような所ではなく、小さな草や芝地、水田の跡、池のへりなど、明るく開けた所に現われる虫や小動物を拾うことが多い。

 乾いた冬の田んぼの棒杭の頂や電線に止り、タイミングをとるように、尾を静かに振りながら地面をうかがっている。このポーズは地表に現われる獲物を待ちうけているときの姿勢である。何かを見つけるとさっと舞い下りて、口に喰わえて、もとの枝にもどる。

 食物の大部分は昆虫で、そのほかにカエル、トカゲ、小さいへビ、小ネズミ、小鳥なども食べる。なかでも昆虫とカエルが多い。昆虫では、バッタ類、ケラ、コオロギ、ヨトウムシ、アオムシ、ハナアブ、トンボの幼虫、成虫、ガやチョウの類、甲虫類などである。冬はとくに小さい甲虫を多く食べている。

 小鳥を襲っているシーンはよく見かける。しかし、モズは飛び方があまりうまくはないので、たいがいは逃げられてしまう。相手が衰弱していたり、けがをしている場合に犠牲になる。モズは、そういう小鳥を、うまく見分けては攻撃をかける。私はこれまでに鳥をたべているモズには2回、攻撃成功の場に居合せたのは1回だけである。

 モズの餌食になっていた鳥は、ツグミヒヨドリで、早春の高取山である。そのツグミは、ヤマモモの幹の二股のところに、はさむようにして置かれ、すでに頭部の大半はなく、胸、腹にも手をつけていた。モズは近づいた私をみて、一度は逃げたが、30分ばかりしてふたたび戻ってきて食べはじめた。

 ヒヨドリは地面に転がしたままで食べていたが、ツグミと同じように頭部から口をつけていた。私がヒヨドリのそばを離れると、すぐ戻ってきたものの、ほんの1、2回つついただけで2mほど上にある枯れ枝に止まり、嘴をぬぐって飛び去ってしまった。どちらの獲物の場合も、2日ほど経ってもそのままの状態で、傷口は黒く乾いて放置されていた。モズは、もはや餌としてこれらを必要としなくなったらしい。

 それにしても、ツグミヒヨドリもともにモズの2倍近い体重である。自分1羽だけで獲ることは相当困難であったに違いない。ヤマモモの幹にかけたツグミの場合は、1m半の高さに置いてあったから、もし、ここへ自力で持ちあげたとすれば、モズは相当な力持ちといわねばならない。

 30年前の空気銃は玩具であった。子供たちが野鳥を撃ち歩くのは日常の遊びであったから、その犠牲になる鳥も多かった。せっかく撃ち落した獲物を見失なって拾うことができなかったり、たとえ拾っても、羽毛をむしったあげくそのまま捨てて帰る者が多く、山道には羽毛が半分むしりとられた死体や、ひん死の重傷でうずくまっている鳥がよく見られた。モズにとってこれらは絶好の獲物であったにちがいなく、そのような鳥を拾ったのではないかと思われる。その頃はツグミヒヨドリも多く、体も大きいので、空気銃には手頃な標的だったのである。

 生きている鳥を襲って成功したのは一例しか見ていないが、犠牲者が珍らしい鳥だけに強く印象に残っている。それは、曇って北風の強い、冬の夕方近くのことである。50mほど先の田の上を低くムネアカタヒバリが飛んでいた。強風のためか、傷を負っているのか飛び方が、ふだんよりいちじるしく遅く感じた。それが、稲架けの横にさしかかった時、そのかげから1羽のモズがさっと襲いかかった。モズとの距離は4〜5m、ムネアカタヒバリは方向を変える間もなく、もつれ合って地面に落ちた。瞬間の出来事である。私は全力で走りよった。数mほどに近づくまでモズは獲物を押え込んでいたが、そのまま獲物を捨てて逃げた。モズのカではとうてい持って逃げることはできない重さである。拾い上げたムネアカタヒバリは完全に動かなくなっていた。もちろんまだ暖かいし柔かい。数秒前までは飛んでいたのである。細部まで点検したが出血はなく、内出血もなかった。どこをどう襲ったか見当がつかない。モズの奇襲に心臓麻痺を起したという事もないと思うが、……そしてモズにとってはまだ口もつけない獲物をとり上げられてしまったのに惜しげな行動もみせずに遠くへ去ってしまった。私にとっては真冬のムネアカタヒバリはこれが初めての記録であり、それがきっかけとなって、その年はかなり多くが越冬しているのを知った。1967年12月、稲美町と岩岡町の境界付近でのことである。

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