神戸の自然シリーズ19 アカシ象発掘記 神戸の自然研究グループ
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1.発見−10月7日のできごと
10月7日に発見した骨の化石
■觜本が見ていた骨(足の骨の関節?)

鈴木さんの見ていた胸椎と肋骨▼

 私達は30度の傾斜の法面(のりめん)をかけあがり、メタセコイア球果の化石をさがしはじめた。斜面にへばりついて地層に顔を近づけていたのは、私(觜本)と鈴木さんだ。私も鈴木さんも急に何も言わなくなり、地層をなめんばかりに目を近づけて、それぞれあるものを見つめていたのである。

 「これは骨みたいやぞ」と、二人は同時に思っていたのである。まだ自信がないから二人とも口に出しては言わない。

 5人のうち誰が口に出して最初に「骨だ」と言ったかは、なぜか思い出せない。私は、この時すでにかなり興奮していたからかもしれない。

 鈴木さんの見ていたものは、明るい褐色をした両端が丸みをもった20センチほどの骨。私のものは直径10cmほどの円柱の骨の断面だった。

 「どう見ても骨だな。」

 「きっとそうだよ。」

 「材ではなくて骨だと言いきれる証拠は?」

 「材の木目とは違う海綿状組織がはっきりしているからまちがいなく骨だ。」
 「じゃ何の骨だろう?」

 「ゾウ……アカシ象?」

 「それにしちゃ小さいからシカかもしれないな」

 「こっちのはずいぶん太いからゾウだ」

 「2年前にこの近くでアカシ象の歯が出たのならゾウに違いないよ」

 決めてはないがたぶんアカシ象だろう、シカかもしれないという結論(?)に達したのは2時半頃だった。骨はその場では取り出すことはしないで後日じっくり掘り出す必要があるということになった。

 写真を何枚もとって私たちは教育研究所に向った。

西神第二住宅団地の造成現場には、200万年前の淡水粘土層が出ている。
手前は地下鉄。アカシ象は、右の方の斜面に出ていた。


 この日から約3ケ月にもわたるアカシ象の発掘のきっかけになった発見の日、私達はなぜこの現場へ行ったのだろう。そのいきさつを書いておこう。

 この人達と出合わなければ私達が掘り出したアカシ象は永遠に人の目にふれることがなかったかもしれない。その人とは田中元さん(復建調査設計株式会社)と鈴木茂之さん(岡山大学)である。

 8月末に神戸で日本第四紀学会が開かれた。その時知りあった田中さんと連絡をとりあうようになり、私達(前田と觜本)は9月には岡山の地層を見るため二人に案内してもらった。今度はそのお返しの番である。神戸の地層、特に大阪層群の案内をすることになった。10月7日はその日である。

 以前から大阪層群を見たいと言っていた兵庫教育大学の院生、三木武行ん(八鹿高校)と住原均さん(栗原中学校)も加わって觜本が案内した。

 鈴木さんと田中さんの興味は、海成粘土層淡水成粘土層の違いと、時代の違いによって地層の硬さはどうちがうかということであった。

 三木さんと住原さんは高校や中学校で地層を教える時に役に立つ地層を見たいという気持ちを持っていた。そこで私は第2番目の観察地点として高塚山粘土層の露頭に案内。50万年前の海成粘土である高塚山層と200万年前の淡水成層である小寺層との不整合、高塚山断層などを見て昼食の後、伊川谷に向った。学園都市から西神中央に伸びる地下鉄沿線ぞいに淡水粘土層からなる大露頭があるからである。

 ここは「西神第二住宅団地」の造成中の現場である。ガードマンにことわって敷地内に入り、地層を前にして説明する。

 「この地層は午前中に見た小寺層と同じ大阪層群下部・明石累層です。明石累層は淡水粘土を7枚はさんでいて、これは下から4枚目です。フィッショントラックの年代で160万〜190万年の値が出ています。2年前にこの露頭からアカシ象の臼歯を発見しました。」


 そして、みんなで露頭に近づいた。5人の興味は淡水粘土に特徴的に含まれているビビアナイト(藍鉄鉱(らんてつこう))のかたまりとメタセコイアの化石をさがすことだった。驚いたことに青緑色の粘土層の表面に何百というビビアナイトの固まりがあるではないか。みんな夢中でそれを拾い出した。

 「メタセコイアの化石がみたいなぁ」

と田中さんが言った。

 「あんなところにあるもんですよ」

 と私が指さしたのは一段高い犬走りの上にある地層だった。木材の化石などをたくさん含んでいるのが離れたところからでもわかる少し灰色がかった地層で、青緑色粘土層とはちょっと色あいの違うシルト層である。アカシ象はこのシルト層から発見されることになるのである。

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