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渦ケ森断層(うずがもりだんそう)
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海抜高度300メートルに達する高所に渦が森の造成工事が本格的にはじまったのは昭和40年ごろである。
渦ケ森の名は、空気の流れが渦のように巻き乱れる状態をさして名づけられたという。六甲山の南斜面で暖められた空気が山腹にそって上昇する一方、山頂から流れおりる冷気とぶつかってできる気流の渦が、このあたり一帯に発生するのである。
昭和41年(1966年)6月、この付近の地質調査を行なっていた羽田野誠一氏(国土地理院)は、造成中露出した花こう岩の法面に幅数メートルの緑色がかった断層破砕帯を発見した。
この断層破砕帯は造成地を北東−南西方向に横切るかたちでのびていたが、その東に、図に示したょうに基盤の花こう岩をおおう厚さ1メートルほどの礫層を押しきるように花こう岩がのりあげていた。この古い岩石が新しい地層の上に衝きあげた関係は、五助谷や東お多福山南麓でみた五助橋断層の断層面と同じ関係である。ただ、ここの礫層ほそれができた地質時代を示す化石を含んでいないが、どうみても、地層のかたさや風化の程度からみてさきの東お多福山南麓の大阪層群よりも格段に新しい。おそらく、数万年ないし十数万年前にできた地層としか思えない。
この現在に近い時期に活動した六甲山地の上昇運動を裏付ける証拠として、ここの断層面ほとくに注目されたのである。この断層発見の3か月のちに東京で開催された第11回太平洋学術会議の見学コースに、ここも選ばれた。十数か国、50数名の地質学者の訪問をうけた六甲の断層は、このほか西宮市高塚町を通る甲陽断層、白水峡の六甲断層などがある。
さらに、この渦ケ森断層ほ兵庫県天然記念物の指定をうけて、永久保存の措置が講じられているが、現在は、ヤシャブシがすっかり断層をおおうほどに生長、その断層面ほ観察できない。発見のとき、断層面は北から60度東へのび、北へ40度の傾斜を示していた。
この場所は渦森台1丁目、NHK住吉寮と渦森保育園との間にひっそりと保存されている。
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渦ケ森断層が発見されたころの断層面
(昭42撮). |
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