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六甲方式生んだ大破砕帯
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六甲の断層破砕帯を突破するとき、つねに用いられた方式、それは極言すれば破砕帯に滞留している水を抜くこと、水圧を下げることにつきる。水を抜くのは正面でもよい、真横からでも、背後からでもよい。ここに掲載したトンネル工事図をみていただきたい。真中の太い四重線は、現在新幹線が走っている軌道である。そして、それから技分れしている数多くの突起は、水ぬきのための迂回坑であり、地質を調べる調査坑である。これを合計すると、本坑の長さにほぼ匹敵する。この工事区間2,500メートルに対し、迂回坑の延長は、実に本坑を上回る2,950メートルで、トンネルを二本掘ったことになる。
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上図に続く |
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本坑、調査坑、迂回坑、水抜きボーリング孔等、
六甲方式といわれた施工の跡 (山陽新幹線工事誌, 1972). |
この間に、どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞと工事関係者を悩ませた断層破砕帯に、トンネルをくり抜いた長さは、大月断層300メートル、寒天橋断層600メートル、五助橋断層300メートル、合計1,200メートルに達している。
また、この図にあるウニの棘のような細長い線の集まりというか、線香花火の火線のような線は水抜きボーリングを施工した位置である。水抜きボーリングの総延長はじつに1万4,300メートルにも達した。
最後に六甲トンネルの難工事だった当時の模様を同工事誌から、その一部を紹介しよう。
八号迂回坑 川側六号迂回坑の掘さく不能に伴い、12月15日川六号迂回坑185メートル付近から川側へ分岐し、掘さくを開始した。この付近は川六号坑掘さく当時にも崩壊により、かなり難行したところだけに慎重に掘さくを行なったが、分岐完了付近で約10立方メートルの土砂崩壊に遭遇した。12月25日、31.5メートル切端山側肩から300リットル/分の泥水と共にズルズル土砂が流出し、引続き崩壊により約50立方メートルの土砂流出があった。12月26日22時、33メートル切端山側天端から突発的に300トン/10分の大湧水が濁水渦を巻いて流出し、その後数回にわたり土砂約150立方メートルを押し出した。作業員3名は濁水に押し流されたが幸いにも軽傷すらなかった。世話役は支保工(鉄枠)の天端に抱きついて難をのがれた。全く天佑というべきであった。
約15メートル後方にあったロッカーショベルは下半埋没し坑木、矢板類は約35メートル後方の川六号迂河坑まで流された。流出土砂は真砂土が大部分で粘土塊が少量と、15センチ角の岩片が約30%含まれており、なかには、30センチ角もある大塊が20メートルも後方へ流されていた。
二度にわたる大量の土砂流出のため、ついに川八号迂回坑の掘さくを断念せざるを得ない結果となった。
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