芦屋の斜坑でも、水を抜いてへドロが流出したあと、工事を再開するのを決めるために切端を調べに行く。ヘドロの上に板を浮べ、頭は天井につかえるから、四つんばいになって泳ぐようにして切端に近づく。するとですね、岩盤の向うでゴオーっとなる山鳴りが聞える。こちらで水を抜いたもんだから、向うの新しくできた空間に断層粘土や土砂が移動して、つもっている音なんですね。これは、いつくるかわからないが確実に襲ってくるもんですね。ときには、ゴロゴロとかコロコロといった石ころの転がる音もしている。たいてい、昼休みなどのコンプレッサーをはじめ機械類の停止している静かな時に行くもんだから、何か不気味な気がする。いい知れぬ圧迫感すら感じることがありましたね。
まあ、トンネル工事というのは、完璧でなければならぬということですね。たとえ一センチでも完璧に施工して前に進まねばならぬ。そのためにあらゆる事態を検討するんです。六甲トンネルの私の区間では88回も土砂崩壊や異常出水に遭遇しているが、こういうところでは、一件も人命にかかわる事故は起していないんですが、かえって岩盤の安定したところで事故は発生しとるんですね。今から思えば、あの山の悪いところでよく掘れたと思うんです。私はいつも思うことですが自然のもつ偉大さというか、そのエネルギーには工事のたびに身をもって知らされますね。山が動いているとき、つまり土砂崩壊が発生したり、掘削したトンネルの断面が少しずつ変形しているようなときは、人間がどんなに躍起になって立ち向おうと、相手にはなりませんね。勢いのおもむくところというか、自然の理をよくわきまえて、それにさからわず合わせていくことですね。
桜井さんは長時間にわたる取材が終ったあと、時折り見せる彼独特の表情である、何事が起っても瞬きひとつしない、きりっとした、六甲トンネルでみかけた10年前と同じきびしい顔付きでこの話を締めくくった。
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