神戸の自然シリーズ1 六甲の断層をさぐる
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東西方向に働く圧縮力
六甲山地−千里丘綾の断面図(藤田・笠間1975,宝塚市史).


 六甲山地とその周辺の地質を調べると、約200万年前、第四紀に入ったころから、近畿地方は東西方向に働く圧縮力をうけるようになったことがわかる。その証拠として、近畿地方の地形の起伏や地層の変形のようすをあげることができる。

 そのひとつは、南北方向に軸をもつ波状にうねる地形である。波の山にあたるのが鈴鹿山脈であり、生駒山地であり、六甲山などの高まりである。そして、これらの南北憧の山地の間には奈良盆地や大阪平野・大阪湾などの低地があり、これらが波の谷にあたる地形である。その特徴を示す例として六甲山地−千里丘陵間の地下断面を上にあげた。

 大阪平野の地下には、つねに地盤の沈降現象がつづいた。200万年間に600メートルにも達する大阪層群の厚い地層が堆積している事実は、この運動の継続を裏付けている。

 もうひとつの手がかりは、北西に低く、南東に高い六甲山地の地形である。

 いま、六甲山に登ったときのことを思いだしていただきたい。神戸にすむ人ならば、これまで何らかの機会に六甲山上を訪れた経験をもっているであろう。何しろ、年間300万人もの登山人口を数えるほど、神戸市民に親しまれている六甲山のことである。

 六甲山上に向うのに北西方向の播磨台地側からのコースをとれば途中たいした坂道をのぼらなくても六甲山上に到達できる。

 しかし、表六甲の六甲、御影、芦屋、あるいは西宮などからのコースの場合、ある人は全身に汗して登り、また、ある人はケーブルを利用し、さらに、自動車でヘアピンカーブに車をくねらせながら登る人もあろう。何れの方法をとるにしても、北西コースにくらべれば、非常なけわしさである。

 この見事ともいえるほど対照的な地形の違いは、六甲山地が北西へ傾きさがる傾動地塊であるためである。これも東西方向の圧縮力による変動のためと解釈されている。その形成過程は、次の地震の項で関連して述べる。

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