兵庫県南部地震データ集 神戸の自然シリーズ 神戸の大地のなりたちと自然の歴史 100万年前から隆起してきた六甲山(1)

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■6.100万年前から隆起してきた六甲山 (1)
■ 六甲山地の階段状地形

図16 東六甲の階段状地形
(「日本の山地形成論」(藤田和夫、1983)参照)

 図16は六甲山地と大阪湾の断面図です。

 Ma-1とあるのは100万年前に大阪湾の海の底にたまった泥の地層です。Ma-1が北山(海抜250m)で見られます。同じものが大阪湾の底では、海面下500mで見られます。このことから何がわかるでしょうか。

 六甲山地が100万年前には現在のような姿ではなく、少なくとも半ばまでが海でおおわれていたことがわかります。

 100万年前にそれほど深くない海底の一方が250mにまで隆起し、他方は500mも沈降したということです。100万年で750メートルの差ができたわけです。
標高500mや100mのところにも平坦な土地があります。

 標高500メートルのところには湖にたまった200万年前の地層が分布しています。200万年前には六甲山地がなかったことを示す証拠です。

 この平らな土地は断層によって区切られています。これらの断層は100万年前からたびたび大地震を起こし、この階段状の地形をつくってきました。

図17 100万年前の六甲山地 (オリジナル)

■ 六甲変動

 100万年といえば、長い地球の歴史の中では最近のできごとです。この新しい時代の大地の変動は「六甲変動」と呼ばれています。六甲変動は単に六甲山地をつくったということだけではなく、日本列島全体につうじる変動でもあります。

 六甲変動はきわめて激しい変動でもあります。六甲変動は50万年ほど前から激しくなり、現在もその延長上にあると考えられています。

■ けずられる山と土砂を受け止める盆地

 隆起する六甲山に対して沈降をしていくのが大阪湾です。ここには厚さ2000メートルを越すたい積物が地層をつくっています。一番下の地層は300万年前のものです。

 だからといって、300万年前に大阪湾が2000メートルの深さがあったわけではありません。どの地層も浅い海や海岸、川原にたまったものです。
 大阪湾は川が運んでくる土砂をためながら、どんどん沈んでいきました。もし、大阪湾が沈降を続けなかったとしたら、すぐに埋め立てられてしまうはずです。

 この土砂をつくりだしたのが六甲山地などの山です。山ではしばしば崖崩れが起こります。大雨がふると土砂をはきだします。六甲山地は隆起しながら、削られてきた山でもあります。

■ 変動と安定の相互運動

 六甲山地から流れ出し、神戸の市街地を横切る河川はふだんは澄んだ水をわずかに流しているだけですが、大雨のときには濁流の渦巻く川になります。梅雨や台風などの集中豪雨のときには膨大な土砂を運び出す荒れ川になります。神戸は昔からたびたび大きな洪水の被害にみまわれてきた町でもあります。多くの死者を出すような水害を何度も経験しています。山がはきだした土砂が山の出口にたい積してできた扇状地の上に神戸の市街地はあります。

昭和13年7月の阪神風水害 (氾濫(はんらん)した住吉川)

 地殻変動が大地の起伏を大きくするのに対して、この浸食−運搬−たい積の過程は大地の起伏を小さくしながら安定しようとする動きです。日本のすべての地域で大地は変動と安定という対立する運動のせめぎあいによって形づくられてきました。


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