神戸の自然シリーズ4 六甲の森と大阪湾の誕生
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7.縄文海進の研究史

 これまで述べてきた縄文海進による海面の高まりについて、いつごろから科学的な研究がなされてきたのか、その研究史をたどってみたい。

 縄文海進の研究のはしりは、すでに明治12年(1879)に大森貝塚の発見で有名なエドワード・モースによってなされている。ちょうど1世紀前に発表されたモースの論文には、大森貝塚で発掘した貝の形態の特徴にもとづいて、当時の東京湾について述べた個所がある。それによれば、貝塚から出土した貝類はすべて東京湾に生息しており、水温は現在よりも暖かったと推定している。モースは、大森貝塚の発見者としては、よく知られた学者であるが、彼はもともと考古学、人類学の専攻者ではなく、動物学、とくに貝類を研究テーマとする人であった。たまたま日本近海の貝類研究に訪れたとき(明治10年)、東京大学の動物学の教授に招へいされたのである。

 モースが発見した大森貝塚は、現在の東京湾の海岸線からは離れた台地の端に位置しているが、おりから日本で地震学の研究・指導をしていたイギリス人の地質学者ジョン・ミルンが、この海岸線の移動に関する論文を発表している。ミルンは、大森貝塚の崖下に海がきていた時期は、今から3,000年前と推定している。海進によって陸地内に進入した海が、その後、現在の海岸線まで後退していたと考え、平均後退速度を仮定して、さきの3,000年前という推定年代をだした。この年数は、現在の知識でみれば、6,000〜5,000年前と訂正すべきであるが、海面の上下の動きに原因する海岸線の前進、後退(海進・海退)が比較的新しい時代におこったことを指摘した点では重要な研究である。ミルンの論文は、彼の母国イギリスの人類学雑誌に発表された。

 日本の研究者によって、縄文海進の研究が手がけられたのは、関東地震(大正12年、1923)の震災復興に関連して行われた東京および横浜の地盤調査による。関東地震による家屋の倒壊被害が下町といわれる海岸低地帯に集中したことを重くみた東京市では、この地帯を中心に大規模なボーリング調査を実施した。その結果、この地帯は地表下20〜±10メートルにわたって水分を多く含んだ軟弱な地層でできていることが、はじめて明らかになった。そしてその下には基盤といえるよく締まった地層のあることがわかった。それ以後、こうした軟弱地に建てるビルディングなどは、この基盤に達するまで基礎杭を打ちこむ建築工法に改められるようになったのである。

 このとき、基盤の上面は高低の差が大きく、いちじるしくふそろいであることが注目された。しかし、この現象を東京湾沿岸の平野全域にわたって検討してみると、そのくばみの部分は、すべて台地をきざんで流れている現在の川の流路につながっていることがわかった。東京の下町地帯の表面は、ほとんど傾斜のない海岸平野特有の平坦さであるが、その地下には、かつて陸上にあらわれていた台地や川すじなどの起伏にとんだ地形がかくされていたのである。ところが、この埋没地形の原因をめぐつて意見が大きく二つに分かれる。すなわち、地盤運動で土地が沈降したという考えと、海面が上昇したとする考えである。さきの下町の地盤は軟弱な地層でできているといったが、その地層には海生の貝化石が多く含まれているので、海成層であることに間違いはない。その海が進入してきたのは、陸地が沈降したためか、海面上昇によるのかという点で意見がわかれたのである。

 このころ、地形学者の東木竜七が東京湾岸を中心に関東地方南部の貝塚の分布を地図上に記入してみたところ、現在は海から遠く離れた内陸部まで貝塚がひろがっている所が多く見つかった。この研究は非常にひろく知られているが、彼はその論文で海が陸地に深く進入していた証拠として、貝塚の分布のほかに東京市の地盤研究の報告書を引用し、海成層が東京、横浜の海岸低地の地下にひろく分布していることをあげている。しかし、その原因は何によるものかという点に関しては何も触れていない。

 当時の学会の傾向としては、日本は地震や火山活動の活発な地盤の不安定な地域であるとして、海面上昇による海進説よりも地盤変動が起こした沈降による海の進入説のほうが有力であった。ところが昭和6年(1931)に発表した大塚弥之助の論文には、この海成層は、日本だけにかぎってみられる現象ではなく、世界中にみとめられる可能性があると述べている。彼は東京、大阪、仙台をはじめ、彼自身が調査した中国の天津市の海成層についてもふれ、この海面上昇が世界的な規模で進行したにちがいないと書いている。

 その後、この縄文海進の進みぐあいを連続した海面変化曲線で表現した最初の論文が杉村新、成瀬洋さんらによって昭和26年(1956)に発表された。それには、高海面期の年代についてはふれていないが、ヨーロッパで氷床がもっとも後退した時期が約6,000年前であるから、それに近い年代であろうと述べている。

 藤井昭二さんは、日本各地で測定された14C年代を、この海進に適用して、昭和44年にパリで開かれた国際第四紀学会で、海面の高頂期は約6,000年前であると発表している。その後、各地の海岸平野でボーリングによる地盤調査と14C年代測定値を併用し、ヨーロッパやアメリカでの研究例を参考にした縄文海進に関する調査がすすんだ。

 これらをまとめると、日本各地の海岸平野下には、縄文海進によって海が進入してきたときを示す砂質堆積物を主とする地層と、つづいて海面が急速に上昇したときに堆積した粘土が中心になる地層と、その後の小規模な海面低下と三角州の発達による砂や粘土を中心とする三角州堆積物の三層で構成されているところが多い。なお、この縄文海進に関する研究は、日本のみならず世界各地で研究されていて、国際的な研究組織もある。最近の研究のもようは雑誌「地球」に海面変動とテクトニスという特集号が組まれている。(1巻11号 1979、2巻1号 1980)。また、地理学評論でもやはり特集号が昭和52年に編集された。筆者のひとり前田も、最近この問題に関連した「縄文の海と森」という著書を刊行している(蒼樹書房 昭和55年)

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