神戸の自然シリーズ21 六甲山はどうしてできたか
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船坂、蓬莱峡を六甲山地の北方からみた。
地形図4'はNTT船坂無線中継所直下の道路にある。


蓬莱峡の崩壊地形をつくった六甲断層

 六甲全山縦走コースは、西宮一船坂間の自動車道路を横切って東へ譲葉山に向うが、ここでちょっと道草をして、道路を船坂方向に歩いてみる。地形図の4’の地点からは六甲断層のつくった蓬莱峡をはじめとする断層地形が遠望できる。

 武庫川の支流の太多田川は、六甲上昇運動にともなって断層の活動がくり返し行われ、岩石がボロボロに破壊された断層破砕帯に食い込むように浸食し流れる。直線定規でひいたような真直な谷が4km、六甲山地の花こう岩と名塩山地の流紋岩とを分けて走る。その中ほどで六甲側に掌状に食いこむ谷がつくった谷頭浸食が蓬莱峡の奇景である。

 空からみるとこの六甲断層の延長は、さらに東に延び宝塚、池田を越え高槻市にいたる。有馬−高槻構造線と呼ばれる大地の大きな裂け目である。

六甲断層(有馬−高槻構造線)を真上からみた。蓬莱峡の破砕帯をはじめ断層谷としての太多田川の特徴がよくあらわれている。手前右は西宮市船坂町。

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