1.高塚山の大露頭(ろとう)での二つの発見
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高塚山粘土層(1982年)
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現在も高塚山粘土層からは化石が採取できる
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地下鉄学園都市駅から南に歩いて15分、学園緑が丘という新しい住宅地の手前の道路ぞいにかつて私たちが「高塚山(たかつかやま)の大露頭」と名づけた崖があります。
ここには第四紀の大阪層群の地層があり、私たちはこの地層の観察から二つの重要な事実を発見しました。
その一つは、高塚山層と名づけた地層は真水(淡水)の湖にたまる粘土から始まり、貝化石をふくむ海の底にたまる粘土、その上に海岸や河口にたまる砂、最後に扇状地をつくるレキヘと変化していることです。
この場所が湖から海、そして川原へと変化していったのです。そして粘土層の間にはさまれている火山灰(高塚山火山灰※)の年代を測定した結果、この地層は約50万年前にできたことがわかりました。
二つ目の発見は高塚山層の下にある小寺層と名づけた青色粘土層をふくむ地層の年代は約200万年前であることがわかり、小寺層と高塚山層のできた年代の間には、150万年もの開きがあることです。地質学ではこのように二つの地層の間に大きな時間差があることを不整合(ふせいごう)とよんでいます。
その後の私たちの調査の目的はこの不整合関係にある二つの地層を追い、地層の広がりと変化を調べることでした。すなわち小寺層をためた湖はどんな湖であったのか、高塚山層をためた海とはどんな海であったのかということを調べてきたのです。
そのためには、地層の中にふくまれている化石などもくわしく調べる必要がありました。
『神戸の地層を読む1』 では高塚山層の上にレキ層が不整合でかさなっていると考え、それを学が丘層とよびましたが、その後の調査で高塚山層と一連の地層であることがわかってきました。
このこともあとでくわしく述べるように高塚山層のできた50万年前以降の大地の歴史を考えるうえで重要なことでした。
※かつてハシモト火山灰と呼びましたが、地層名には地名をつけるというルールに従って高塚山火山灰とつけなおします。
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やや傾斜した明石累層(小寺層)の上にほぼ水平な明美累層(高塚山部層)が不整合で重なる ▲
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図13 高塚山の大路頭の位置 ▲
国土地理院2万5千分の1地形図「須磨」「前開」を縮少
この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の5万分の1
地形図及び 2万5千分の1地形図を複製したものである
(承認番号 平14総複,第389号)
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