神戸の自然シリーズ17 神戸の地層を読む2
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8.高塚山の入江の形を推定する

 ところで、高塚山海進によってできた高塚山の海とはどんな形をしていたのでしょうか。

 いままではある地点で地層を下から上へ、その変化をみてきました。それは時間とともにその土地がどのように変化したかを見てきたわけです。

 こんどは地層を横に追いかけて、高塚山の海の平面的な広がりを考えてみようというわけです。高塚山粘土層と同じ地層がどこまで分布しているかがわかれば、当時の海岸線がわかるはずです。

 私たちは、高塚山粘土層と直接つながっていると確認できる海成層を10数カ所で観察することができました。

 それぞれの地点で地層のようす、厚さ、重なり方を記録した図を柱状図といいます。その柱状図をならべたのが図19ですが、これをみると地層が横にどのように変化していくかがわかります。高塚山粘土層は南に追うとだんだん薄くなり、やがて粒のそろった砂層に変化します。また東および北に追うと薄くなり、傾斜した垂水礫層と呼ばれるこれより古い地層にぶつかっています。西に追うとだんだん厚くなり、伊川谷北高校のふきんでは2枚に、高塚山トンネル西口ふきんでは3枚にわかれてきます。

 このように高塚山粘土層とそれと同じときにたまったと思われる砂層の分布から高塚山の海の海岸線を推定したのが、図21です。

 このように高塚山の海は明石海峡から北にはいりこんだ入江で現在の明石川と垂水の町を流れる福田川にはさまれた地域をおおっていたこと、北は伊川台の丘陵や櫨谷(はせたに)・平野(ひらの)の丘陵はおおわなかったことがわかります。また、現在の北舞子の舞子墓園のふきんには花こう岩の小さな丘がありますが、ここは当時、小さな島か海につきだした岬であったと考えられます。

図19 高塚山部層柱状対比表 

図20 高塚山部層柱状図作成地点 
(国土地理院2万5千分の1地形図「須磨」「前開」を縮小
この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の5万分の1
地形図及び 2万5千分の1地形図を複製したものである
(承認番号 平14総複,第389号)

図21 高塚山の海の海岸線を推定する

図22 高塚山部層の層相概念図


地層の厚さを測る

厚さが1mの地層があったとしても、見かけ上はそれより厚くみえます。地層の出ている崖(露頭)は傾斜をもった斜面だからです。

地層が水平な場合には、斜面に出ている地層のみかけの厚さと斜面の角度をはかって計算で求めます。斜面が30度の傾斜であれば、b/a=0.5ですから、b=a÷2で地層の厚さが出てきます。

地層が傾斜している場合は、地層の傾斜角度も測って地層面に、直角な断面になおして計算しなければなりません。

おおざっぱに、地層の厚さをみる場合には、目の高さ(約1.5m)を基準にして斜面を登っていき、何回分かで、目測することもできます。


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