神戸の自然シリーズ17 神戸の地層を読む2
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7.高塚山海進とその後の海退

図18 高塚山部層の柱状図

上部の扇状地性のレキ層

斜交ラミナの発達した粗粒砂層


 このように高塚山粘土層は50万年前に気候の温暖化とともに海水面が上昇して海が進入してできた地層であることがわかりました。そこで私たちはこの事件を「高塚山海進」とよぶことにします。

 この高塚山海進のあとはどのようになったのでしょうか。高塚山粘土層の上部は粘土層とはいっても、かなり砂の混じってくる地層です。この砂質の粘土の中の花粉や有孔虫の化石から気温が低下して海が退いていったのではなく、同じような気候が継続していたことがわかります。海水面はこの時まだ高く、その海に川から運ばれてきた砂がたまり三角州のような土地になったと考えられます。

 海が気温の低下とともに退いていくのは、粘土層の上位に重なるあらい砂層の時代になってからです。この砂層は地層の面(層理)に斜交する縞模様(しまもよう)(斜交ラミナ)がよくみえる地層で、これは川の流れがおよぶような場所でできると考られます。海が退いていくときには、それを追うようにしてあらい堆積物がたまって三角州などができ海の方へ前進していきます。この5mほどの砂層は海退のときにできた前置層(ぜんちそう)だと考えられます。

 つづいて、20mの厚さを持ったレキ層が重なっています。

 この時には海ははるか沖合に退き、このあたりは山地から川によってはきだされるレキがたまる河原で、そのレキによって扇状地がつくられていたと考えられます。海面が低下するということは、それだけ川の流れが急になるのですから、レキのようなあらい堆積物が運びだされるのです。

 私たちは、このように海が進入する直前から、海が進入して、やがて退いていくときにできる一連の地層をここでみることができたわけです。この一連の地層を「高塚山部層」と呼ぶことにします。

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