神戸の自然シリーズ17 神戸の地層を読む2
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1.川西粘土層と舞子貝層

舞子貝層の貝化石の産状
図23 川西粘土層と舞子貝層
    (2万5千分の1地形図「須磨」を縮小)
この地図は,国土地理院長の承認を得て,同院発行の5万分
の1地形図及び 2万5千分の1地形図を複製したものである
(承認番号 平14総複,第389号)

 ところで、この播磨平野にある海成の粘土層はいままでに述べた高塚山粘土層だけではありません。JR朝霧(あさぎり)駅ふきんに分布する川西粘土層、西区岩岡町に分布する赤坂(あかさか)粘土層などがあります。

 これらの海成の粘土層と高塚山粘土層との関係はどうなっているのでしょうか。同じ地層なのか、違う地層なのか、違うとしたらどちらが古いのか、という問題があります。

 この三枚の海成の地層のうち一番古いのは川西粘土層で、つぎが高塚山粘土層、一番新しいのが赤坂粘土層であるというのが、私たちの結論です。

 これまで川西粘土層はメタセコイアの化石をふくむ地層であると考えられていた地層です。

 メタセコイアの化石は今から90万年より古い地層からはでてくるが、それ以降の地層からはでてこないということがわかっています。ですから、川西粘土層はおよそ100万年前の地層だと思われていました。

 ところが、よく調べてみると川西粘土層にはメタセコイアの化石はふくまれておらず、メタセコイアの入っている地層(明石累層(あかしるいそう))を不整合でおおう地層であることがわかってきました。

 川西粘土層についてはもう一つ重要な発見がありました。川西粘土層の近くにたくさんの貝化石などをふくむ舞子貝層は高塚山貝層より古い時代のものではあるが、それほど大きな時代のへだたりはないと考えられていました。

 そして舞子貝層と川西粘土層の関係が問題になっていました。一つは整合であるという考え、もう一つは舞子貝層は100万年前の川西粘土層がけずられたあと、そこにへばりつくようにしてたまった新しい地層であるという考えがありました。

 ところが、西舞子から朝霧にぬける道路工事によって舞子貝層は川西粘土層の下にある地層であることが確かめられたのです。

 すなわち、「舞子貝層は川西粘土層を不整合でおおうといういままでの第二の考えは、「川西粘土層は舞子貝層を整合でおおう」という事実によってくつがえされたのです。

川西粘土層は舞子具層の上に重なる地層だった 
図24 従来はこのように考えられていた
    
        (藤田・前田1984)

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