今までの章ではいろいろな地層名を定義なしに使ったり、地層の記載をきちっとしないままで話を進めてきました。また、私たち以外の今までの研究と私たちの研究とがどのような関係にあるのかもほとんど述べませんでした。そこでこの章では、やや専門的になりますが播磨平野の大阪層群の地層の重なりや関係(層序)についてまとめることにします。
1.研究史
兵庫県南部・播磨平野東部の丘陵地帯に分布する第四系については、鹿間(1936)以来、多くの層序学的研究が行われてきた。鹿間(1936)は本地域の新生界を明石層群(鮮新統)と播磨層群(洪積統)に区分した。市原・小黒(1958)、市原ほか(1960)はこの地域の第四系と大阪盆地における大阪層群との対比を試み、明石層群は大阪層群下部に相当するとして大阪層群明石累層と命名した。
近年、神戸市垂水区・西区を中心に大規模造成工事が実施され、従来の層序を大きく書き換えるべき事実が明らかになってきた。前田・觜本(1983)はこの地域の大阪層群中に大きな不整合が存在することを述べ、藤田・笠間(1983)、藤田・前田(1984)はその不整合を境に下位を大阪層群中・下部亜層群=明石累層、上位を同上部亜層群=明美累層に区分した。
一方、大阪盆地において大阪層群中に不整合(満池谷不整合・芝の不整合)が存在するか、否かが議論されてきた。(Yokoyama
et al、1977;石田、1983;藤田、1983;市原ほか、1984など)。また、高位段丘面が大阪層群の堆積面であるのか否かについても意見が分かれている問題である(市原、1960;藤田ほか、1983など)。
本地域の段丘面については河名(1973)、八木(1983)の研究が発表されている。私たちは本地域の大阪層群の岩相層序について再検討を行い、ここに認められる不整合の意義および高位段丘構成層について新たに判明したことを次に述べる。
2.地形・地質概説
本地域の東方には花崗岩類からなる六甲山地、流紋岩類からなる丹生山地が300〜1000m級の山地をなしている。これらの火成岩頬とその中に小規模に点在する丹波層群が基盤を構成している。基盤岩を不整合で覆い、あるいは断層で接して第三系神戸層群が山地と大阪層群分布域の間に200〜300m級の丘陵を構成している。
大阪層群は南北性の断層である高塚山断層より西、主に明石川流域と加古川左岸の30〜150m級の丘陵に分布している。
本地域の大阪層群は下位から明石累層と明美累層とに二分される。
上部鮮新統−下部更新続である明石累層は、基磐岩類および神戸層群を不整合に覆い本地域の東部に広く分布し、中部更新統である明美累層は明石累層を不整合で覆い、数枚の海成層を伴なって南東部と西部に分布し明美面などいわゆる高位段丘を形成している。
上部更新統の西八木層は播磨灘沿いに中位段丘を作るほか明石川沿いに河岸段丘層として小分布している。
大阪層群分布域には基磐岩類が諸所に小丘をなして露出している。
3.大阪層群の岩相層序
本地域の大阪層群を明石累層(上部鮮新統−下部更新統)と明美累層(中部更新統)に区分する。
この区分は、藤田・笠間(1983)、藤田・前田(1984)の層序区分とは基本的に一致しているが、狩口台付近に分布する川西粘土層を明美累層に含める点と、押部谷付近の礫層を明石累層とする点で異なっている。
本地域の大阪層群の全層厚は150m以内である。
@明石累層 (市原、1960;藤田・笠間、1983 再定義)
[定義]基盤岩類および神戸層群を不整合で覆い、明美累層および西八木層に不整合で覆われる非海成の地層群を明石累層とする。
本累層は南部・西部で礫・砂・粘土のリズミカルな互層からなり、比較的連続する粘土層は少なくとも6枚あり、下位から本多聞粘土層、小寺粘土層、伊川谷粘土層、井吹粘土層、友清粘土層、春日台粘土層と呼び、礫層から上部に細粒化して粘土層までの1サイクルを、それぞれ本多聞部層、小寺部層、伊川谷部層、井吹部層、友清部層、春日部層とする。各部層とも礫層の基底をもって下限とし、粘土層の上面をもって上限とする。
基本的には各部層は整合的に累重しているが、各部層の最下部の砂礫層は、しばしば下位の粘土層を削り込んでおり、非整合とも言える場合がある。一部である部層が欠如しているとも思えるところもあり、不整合として扱えるかもしれないが、その規模は大きくないと考えられる。
砂礫層中の礫は主に流紋岩類とチャートからなる。まれに花崗岩、砂岩、変成岩を含んでいる。一般的には淘汰の悪い亜円礫から成るが、一部では淘汰の良い亜円礫がラミネーションしていることがある。
粘土層は多くの場合、青緑色を呈し、いわゆる淡水粘土で、粘土層の上部1mほどで炭質物を多く含み灰黒色を呈することがしばしばある。
本累層は、東部・北部では厚い礫層であり、垂水礫層(鹿間、1936を再定義)と呼ぶ。垂水礫層は先の各部層、特に下部の2〜3部層の移化層である。
@−1本多聞部層
[模式地]垂水区本多聞小学校横
[分布]西区学園都市から南西に垂水区狩口台まで分布
[層相]模式地では下部から大礫〜中礫からなる砂礫層(2m以上)、中粒砂層(1m)、黄白色の火山灰層(0〜0.9m)、青緑色粘土層(3.5m以上)からなる。
学園都市では、下部から大礫〜中礫の砂礫層(15m以上)、中礫を含む中粒砂層(2m)、中礫からなる砂礫層(5m)、粗粒砂から連続的に細粒化して細粒砂に変化する砂層(5m)、シルト層(1.2m)青緑色および白色粘土層(5.5m)、黄白色の火山灰層(0〜0.8m)からなる。ここでは本部層は高塚山断層の影響を受けて西に30度傾斜し、砂層・粘土層は東方に向かって急激に薄くなり40m以上の層厚を持つ垂水礫層に移化する。
[層厚]模式地では10m以上、学園都市では30m。
@−2小寺部層
[模式地]西区小寺大池北西
[分布]西区学園都市から南西に垂水区多聞、明石市朝霧、西区出合付近まで広く分布。
[層相]模式地では下部から粗粒砂層(0.5m)をレンズ状に挟む青緑〜灰青色粘土層(4m)、白色火山灰層(1m)からなる。
学園都市地下鉄ぞいでは、下部より中礫から大礫へ上方粗粒化する砂礫層(15m)、中粒砂層(2〜3m)、シルト層(0−1m)、青緑色粘土層(3−12m)からなる。粘土層の中位には白色火山灰層(0〜2m)をはさみ、上位1mほどには炭質物を含んで灰黒色になる部分がある。また、幅20〜25m、深さ5mの中粒からなるチャネル堆積物が粘土層を削り込んでいる部分がある。
[層厚]模式地では12m、学園都市では22〜30m。
[化石]粘土層の下部からStegodon akashiensisの臼歯が、上部からMetaseqoia distichaなどの植物化石が採取された。
@−3伊川谷部層
[模式地]西区伊川谷町井吹、永井谷
[分布]西区前開から南西に井吹、長坂付近に分布。
[層相]模式地では、下部から中礫の砂礫層(5m以上)、上部がシルト質の青緑色粘土層(4m)からなる。
[層厚]10〜15m。
@−4井吹部層
[模式地]西区伊川谷町井吹・西神住宅第二団地
[分布]西区狩場台、前開付近から伊川谷丘陵に分布
[層相]模式地では下部から粗粒〜中粒砂層(0〜1m)を挟む中礫の砂礫層(4m)、粗粒砂層(0.4m)、細粒砂層(0.7m)、細粒砂〜シルト層(2.5m)、細粒砂のチャネル堆積物を中部と上部に挟む青緑色粘土層(11m)からなる。粘土層の上部に黄白色の火山灰層(0.1m)が挟まれている。この粘土層には多くのビビアナイト団塊が含まれている。
[層厚]20m。
[化石]粘土層の中部からStegodon akashiensisの臼歯が、上部のチャネル堆積物から切歯、臼歯を含むS. akashiensisの骨格とオオタニシ、ドブガイなどの淡水貝、Metaseqoia distichaなどの植物化石が採取された。
@−5友清部層
[模式地]西区櫨谷町友清・大神戸ゴルフ場西
[分布]櫨谷町友清、西区竹の台・春日台に分布。
[層相]模式地では下部から中礫混じりの中粒砂層(4m)、大〜中礫からなる砂礫層(2m)、粘土層(0.5m)をレンズ状に挟む中粒砂層(1.5m)、中礫からなる砂礫層(1m)、白色粘土層(1m)、大〜中礫からなる砂礫層(3m)、シルト層(2m)、青緑色粘土層(3m)、白色火山灰層(1m)からなる。
模式地の西方300mのハイテクパークでは火山灰層は2.5mの層厚を持っている。
西区春日台では火山灰層(1m)は粘土層(6m)の下位にある。
[層厚]20m。
@−6春日台部層
[模式地]西区春日台南方
[分布]西区竹の台、春日台、櫨谷町松本付近に分布。
[層相]模式地では下部から中礫からなる砂礫層(0.2m)、細礫を含む粗粒砂〜中粒砂層(1.4m)、シルト層(1.3m)、淘汰の良い中粒砂層(5.5m)、下部が砂質の青緑色粘土層(3m)、白色火山灰層(0.2m)、中粒砂層(2.4m)、白色火山灰層(0.1m)、青緑色粘土層(1.8m)からなる。
[層厚]20m。
@−7垂水礫層(鹿間、1936を再定義)
[模式地]西区学園都市東方
[分布]高塚山断層より西方、垂水区星陵台・高塚山、西区学園都市・友清・木見・笠松峠付近に分布。一部で高塚山断層より東に100mほどの幅で分布している。
[層相]流紋岩・チャートの巨〜大〜中礫を主体とする砂礫層である。場所によって礫種比に違いがあるが、流紋岩とチャートの量比は同じか、やや流紋岩が多い。
全体的には淘汰は悪く、基質は粘土質の砂で基質部は多くなく、数m単位で礫径が変化する部分も見られる。0.2〜1m程度の厚さの砂または粘土層を挟むことがある。
[層厚]模式地で50m。北部地域では70m。
@−8垂水区・西神地区以外の明石層群
明石累層は、垂水区と伊川谷丘陵、櫨谷丘陵(西神ニュータウン)以外では、明美丘陵の南東斜面・押部谷から明石市松蔭新田にかけての基底部に明美累層に覆われて分布している。また明石市林崎から魚住にかけての海岸ぞいの崖に西八木層に覆われて分布している。
このうち北部の西区神出町田井・座頭谷の明石層群は、藤田ほか(1987)によって下部から神出累層と座頭谷累層と名づけられている。このうち座頭各累層は井吹部層に、神出累層はそれ以下の部層に対比される可能性が高い。
また明石市大久保町の松蔭粘土層(市原・小黒、1958)は春日台部層か友清部層に、林崎粘土層・屏風ヶ浦粘土層(鹿間、1936)および大沢粘土層(市原ほか、1960)は小寺部層・本多聞部層に対比される可能性が高い。
A明美累層
[定義]明石累層を不整合で覆い、中位段丘・西八木層以前の地層群を明美累層とする。本累層は下位から朝霧部層、高塚山部層、岩岡部層とに区分でき、各部層はいずれも海成層を挟む地層群である。
A−1朝霧部層
[模式地]明石市JR朝霧駅前
[分布]垂水区狩口台から明石市松ヶ丘、朝霧にかけて分布。
[層相]模式地では下部から中礫から大礫の砂礫層(1m以上)、1〜2cm単位の平行ラミナの発達した灰黒色の海成粘土層(一部シルト=12m)からなる。狩口台6丁目付近では粘土層の中部に細礫の砂礫層(1m)、細礫混じりの淘汰の良い粗粒砂層(1.8〜0.5m)が挟まれている。この砂粒はあまり円磨されない石英粒を主体として雲母類も含まれる(花崗岩質)ものである。狩口台7丁目では粘土層の下部にインターフィンガー的に粗粒砂層が挟まれ、粘土層の下位をしめている。この砂層が舞子貝層(J.
Makiyama、1923)である。
[層厚]15m以上。
[層序関係]狩口台7丁目のJRの線路沿いにおいて粘土層の下限から3m以内の位置に明石累層があり、西舞子6丁目では粘土層がやや南西に傾斜する明石累層にアバットしていると思える地点があり明石累層と本部層とは不整合関係と判断できる。
本部層は中位段丘を構成する砂層、砂礫層に不整合で覆われている。
藤田・前田(1984)は川西粘土層と舞子貝層との関係を川西粘土層の削り込み部を舞子貝層相当層が埋積したものとしていたが、今回、舞子貝層の上位に川西粘土層が整合で累重することが観察できる露頭が出現したことによりその関係が明らかになった。
[化石]舞子貝層からVolachlamis yagurai, Chlamis harimensis,
Corbicula japonicaなどの化石が産出した。
A−2高塚山部層
[模式地]神戸市垂水区小束山・若葉学園南方。
[分布]垂水区小束から本多聞・学が丘・多聞町、西区小寺・永井谷・水谷に分布。
[層相]模式地では下部から大礫からなる砂礫層(2.5m)、青緑色の淡水粘土層(3.4m)、暗灰色の海成粘土層(1.5m)、灰黒色の砂質シルト層(2.8m)、細礫混じりの中粒砂層(1.5m)、淘汰のよい平行ラミナの発達した粗粒−中粒砂層(1.7m)、斜交ラミナの発達した極粗粒〜粗粒砂層(3.5m)、著しい斜交ラミナの発達した中礫〜大礫からなる砂礫層(20m)からなる。粘土層の上部には桃白色の火山灰層(高塚山火山灰層)(10cm)が挟まれ、その上位は約1mの貝化石層である。
海成粘土層は南部にいくに従って薄くなり、学園緑ヶ丘、本多聞4丁目では淘汰の良い中粒の砂層に変化する。模式地の北西の小寺大池、西の長坂では粘土層の間に砂層や砂礫層を挟んでくるため粘土層は2〜3枚に分れる。これらの地点では粘土層の上位には20度の傾斜を持った大規模な斜交ラミナが発達した中粒砂層(上部および下部は礫を含む)(20m)が累重する。
[層厚]模式地では約50m。
[層序関係]高塚山部層は分布地の東縁では高塚山フレクチャーによって急傾斜した明石累層にアバットしている。他の地域では緩傾斜の明石累層の下部層にゆるやかな傾斜不整合で重なる。
前田・觜本(1983)は高塚山層を不整合で高位段丘層・学ヶ丘層が覆うとしたが、学が丘層とした礫層は本部層の最上部をしめるものである。
[化石]粘土層の上部の化石層は、高塚山貝層(福田・安藤、1951;安藤、1953)であり、Crassostrea gigas, Volachlamis yagurai Chlamis
harimensisなどの化石が産出した。
A−3岩岡部層
[模式地]西区岩岡町印路ライスセンター西
本部層は層相変化の激しい地層群であり明確な鍵層を持たないため、本部層を代表する模式地の設定が困難なので下記のいくつかの地点をもって副模式地として記載する。
西区神出町座頭谷 ・県道高和母里線 ・岩岡町印路 ・明石市大久保町高丘
[分布]西区神出町−明石市大久保町−加古川市日岡を結ぶ明美丘陵全域にかけて分布。ただし明美丘陵の南東斜面・明石川右岸のほかは露出状態が悪く詳細は明らかでない。
[層相]模式地では下部から中礫の砂礫層(1.5m)、淡灰色粘土層(1m)、中礫がラミナとして並ぶ淘汰の良い中粒砂層(4m)、砂層のレンズを挟む中礫の砂礫層(4m)、白色粘土層を挟む礫混じりの中粒砂層(3m)からなる。座頭谷では、比較的淘汰のよいチャートの中〜大礫を中心にした砂礫層(10m)からなる。南部にいくと急激に層厚を増して県道高和母里線では、下部から中礫からなる砂礫層(2.5m)、平行ラミナの発達した細粒砂層(2m)、白色粘土層(1・5m)、細礫混じりの細粒砂層(1m)、白色粘土層(0.5m)、0.5m程度の中粒砂層をレンズ状に挟み中〜大礫からなる砂礫層(6m)、中粒砂層(3m)、中礫の砂礫層(2m以上)からなる。印路では、砂層をレンズ状に挟む中礫を主体とする砂礫層(4m)の上に暗灰色の粘土層(2m)、シルト層(0・5m)、中粒砂層(0・4m)が重なる。この粘土層が赤坂粘土層(市原ほか、1960)であり、海成粘土層である。粘土層は南方に薄くなり淘汰の良い細粒〜中粒砂層(3m)に移化する。
高丘では、下部から淘汰の良い中粒〜粗粒砂層(6〜9m)、白色の粘土層(1・3m)、中粒砂層(0・4m)、シルト層(0.5m)、中礫の砂礫層(1m)からなる。
明美丘陵の西部斜面にあたる加古川市日岡には海成砂層(8m)が露出しているが本部層にあたるものである。
各粘土層の連続は悪く、その上位の砂層、砂礫層にしばしば削りとられており、北部ほど礫層が、南部ほど砂層が卓越する。いずれの地点でも地形面の直下1〜3mは激しい赤色風化をうけ紅〜赤色を呈し、チャート礫以外はクサリ礫化している。
[層厚]北部で10m、南部で40m。
[層序関係]本部層は明石累層を不整合で覆う。露頭レベルでは不整合関係と考えられる地点は神出町座頭谷と松蔭新田のゴルフ場である。しかし明美丘陵の南東部の西神ニュータウンに分布する明石累層の青緑色の粘土層が明美丘陵斜面の下半部をしめて連続して追跡することができ、南部に行くに従って高度を下げ、その上位にほとんど平行的に不整合で重なるのが岩岡部層であると考えられる。岩岡部層は明石累層の下部ないし中部層の層準にのっていることからも、その関係は不整合と考えられる。
従来、大阪層群下部層を不整合で10m以内の高位段丘層が覆っている(市原・小黒、1958、市原ほか、1960;阿部ほか、1987など)とされてきたが、明美面は岩岡部層の堆積面であり、大阪層群と分離して段丘層を不整合関係で設ける根拠は存在しない。
[化石]赤坂粘土層中から木片を核にした高師小僧が産出したほかは発見されていない。
4.地質構造
@高塚山フレクチャー
本地域の東部には南北性の断層である高塚山断層がある。高塚山断層は基盤の花崗岩体に発生した逆断層にそって生じたフレクチャーに伴った二次的逆断層(藤田・前田、1984)である。断層の西300mでほぼ水平な神戸層群に平行不整合にのった明石累層の礫層(垂水礫層)は断層の東200m付近で30〜35度の傾斜を持つようになる。断層を挟んで再び35〜40度の傾斜を持った神戸層群が垂水礫層に不整合に覆われて現れる。西に追うとその傾斜は除々に緩やかになり、断層の東300m〜500mでほぼ水平になる。
A明石累層
明石累層は露頭規模では水平であったり、10度程度の南西落ちであったりするが、平均的には西ないし南西に1〜2度以内で傾斜する傾向が認められる。
B朝霧部層
明美累層朝霧部層は緩やかに傾斜する明石累層にアバットする形でのり、ほぼ水平である。
C高塚山部層
明美累層高塚山部層は高塚山フレクチャー付近では急傾斜の明石累層にアバットし、その西部および南部ではやや起伏のある明石累層にゆるやかな傾斜不整合で重なる。明石累層と同じ傾向で南西に微傾斜して高度を下げるが、明石累層よりは緩やかである。
D岩岡部層
明美累層岩岡部層の堆積面である明美面は西区伊川谷を扇項として南西に大きな広がりを持つ極めて平坦な面である。この面は北東に高く南西に低くなっており、面が形成されて以降の傾動運動を受けている。今回地層が観察できた南東斜面においては北部・座頭谷で標高130mから南に森々に標高を下げ、大久保町高丘で85mになる。地層もほぼこれと同じ傾向をもっていると考えられる。
5.年代
各地層で得られたフイツション・トラック年代は、次の通りである。
| 累層 |
部層・地点 |
採取試料 |
F・T時代 |
| 明美累層 |
高塚山部層 |
高塚山火山灰層* |
0.49±0.09 Ma |
| 明石累層 |
小寺部層 |
小寺火山灰層* |
1.9±0.4 Ma |
| 明石累層 |
井吹部層 |
井吹火山灰層 |
1.7±0.4 Ma |
| 明石累層 |
春日台部層 |
春日台火山灰層 |
1.6±0.3 Ma |
| 明石累層 |
座頭谷 |
座頭谷火山灰層 |
1.8±0.3 Ma |
| 明石累層 |
座頭谷 |
白色火山灰層 |
3.5±0.6 Ma |
| 明石累層 |
西八木海岸 |
屏風浦粘土層上位の火山灰層 |
2.2±0.3 Ma |
| (F・T年代はいずれも京都フィッショントラック(株)測定) |
*前田・觜本(1983)でハシモト火山灰と呼んだものは高塚山火山灰、同じくヤギ火山灰は小寺火山灰、フジタ火山灰は本多聞火山灰と命名しなおすことにする。
|
6.多聞不整合
明石累層と明美累層との明確な不整合と確認できたのはいずれも明石累層と明美累層高塚山部層との関係であるが、明石累層と朝霧部層および岩岡部層との関係もどちらの部層も明石累層の下部〜中部の層準にのっていることから不整合であることは確実である。これを多聞不整合と名づけることにする。
明石累層は、そのF・T年代が1.6〜3.3Maの値を示し、上部鮮新統から下部更新統である。明美累層は高塚山粘土層中の高塚山火山灰が0.49Maの値を示し、中期更新統である。朝霧部層の川西粘土層は、前に述べたような根拠により高塚山粘土層より下位の中部更新統と考えられる。
岩岡部層については、年代についてのデーターも化石も得られていないが、この部層の堆積面である明美面(高位段丘面)が高塚山部層の堆積面よりも開析をうけていないことから、高塚山部層以降の地層であると考えられる。
大阪盆地を広く覆う海成粘土はMa1であり、これは京都にまでおよぶ海進であったとされている。川西粘土層、高塚山粘土層が従来はMa1、Ma2に対比されていたため(市原、1960)、播磨平野にもこの海進はおよんだとされていたが、播磨平野に初めて海が進入したのは、中期更新世であることが判明した。
播磨平野は六甲山地−淡路島の隆起地帯の北西側に位置し、前期更新世の海進はこのバリアを越えることはできなかったと考えられる。
川西粘土層、高塚山粘土層、赤坂粘土層はいずれも海成層であり、それらを含む地層群はそれぞれ明石累層にアバットしている。一番下位の川西粘土層(朝霧部層)から高塚山粘土層(高塚山部層)、最上位の赤坂粘土層の分布範囲をみると、時間とともに海進は明石海峡付近から北および北西にその範囲を広げていったと推定される。
多聞不整合は、上部鮮新−下部更新統の明石累層の堆積盆の消滅に伴う前期更新世における播磨平野全域の緩やかな隆起、中期更新世の大規模な海進、中期更新世以降活発化した断層地塊運動(藤田、1983)の影響を受けた海域の変遷と海退に伴う扇状地・三角州の形成によって特徴づけられる不整合である。
千里丘陵および泉南地方における芝の不整合はMa0の直下に約70万年から110万年の地層の欠如を推定する(Yokoyama
et al、1977;飯田、1980など)ものであり、また西宮における満池谷不整合はMa5とMa6の間にある不整合(藤田、1982)とされている。
したがって、多聞不整合は芝の不整合と満地谷不整合の両者を包含する時間間隙の規模を持った不整合といえる。
|