神戸の自然シリーズ8 神戸の蝶
  前ページへ 目次へ 次ページへ
 III.自然とのふれあい−蝶の育て方− 2.自然はすぐれた教師

 蝶の生活史は観察記録として読むことができますが、それは一定の限られた条件下での記録です。名画モナリザの複製をみることができますが、これはある一つの照明方法、ある一つの種類のフィルムなどによって、ある一方向からの見方によって作られているといえます。実物の前でためつすがめつ、自分のからだを前後左右に移動させながら、「体験」するのが、作品にふれる最もよい方法です。蝶を知る場合も同じことで、育ててみることの意義はここにあるのです。

 観察記録は必ずしもすべての事実をつたえていない場合があります。つまり教料書や本に書いてあるからといって、これだけが真実だと思ってしまうと間違う場合があります。いくつかの例を紹介しましょう。


(1)モンシロチョウの越冬

 H社の図鑑によると、「生態」の項にこう書いてあります。「九州北部以東では蛹越冬。」、蝶の種によって、卵の姿で冬を越すものもあれば、幼虫、蛹あるいは蝶の姿で越すものもあります。この記述はいいかえると、「神戸ではモンシロチョウは蛹の姿で越冬する」となります。

 1970年1月31日、私は正月用の鉢植えのハボタンに、2頭のモンシロチョウの幼虫を見つけました。いずれも10ミリメートル。3月1日蛹こなり、4月1日蝶になりました。この2頭のモンシロチョウは幼虫の姿で冬を越したのです。図鑑の解説には例外があり得ることがおわかりと思います。


(2)アゲハチョウの蛹の色

 アゲハチョウの幼虫は、カラタチミカンの類、サンショウなどの葉をたべて成長します。さわると黄色い肉角をつき出し、強いにおいを出すのでご存知でしょう。

 食樹の枝で蛹になった場合は、みどり色の蛹となるが、食樹からはなれて枯枝や塀や壁に糸をかけて蛹になった場合は茶色の蛹となります。これは保護色です。周囲がみどり色の環境の中におかれたみどり色の蛹と茶色の蛹のうち、鳥にくわれたのは前者が30%、後者が70%という観察の報告があります。保護色の効果が証明されています。

 さて、幼虫はどのような判断で環境に応じた色を選ぶのでしょうか。ある学者が実験をしました。幼虫のヒゲを焼ききったところ、幼虫はみどりの枝の上で茶色の蛹になりました。幼虫の嗅覚が蛹の色を決定するらしいことがわかりました。さらに実験は進められました。ジューサーでカラタチの葉をどろどろにして、この液を枯れ枝にぬりつけました。枯れ枝はみどり色ではないのに、この枯れ枝の蛹はすべてみどり色でした。カラタチの成分が、幼虫の嗅覚を通して刺激をおくり、蛹をみどり色にするホルモンを分泌させたと説明されました。

 私は日あたりのいい廊下で蝶の幼虫をはなし飼いにすることがあります。蛹になる直前の終齢幼虫はそれぞれ好きな場所へ行ってからだを固定します。数頭のアゲハチョウを育てたときのことです。ステレオの裏にかくれていた蛹があぎやかなみどり色でした。ステレオの真にはみかん類のにおいはなかったはずですが、この場合はどう説明すればよいのでしょう。


(3)ゴマダラチョウの羽化の回数

 ふたたび図鑑の解説をみます。「生態−年2回発生。春型は5〜6月、夏型は7〜8月に姿をみせる。・・・・」。春発生したゴマダラチョウが生んだ卵は成長して夏蝶となり、夏の蝶が生んだ卵は幼虫となり、その姿で冬をむかえ、エノキの落葉の裏でじっとして越冬します。この越冬した幼虫が5〜6月になると春の蝶となるのです。

 私の庭にエノキがあります。1975年7月20日、ゴマダラチョウがどこからかやってきて、エノキの葉に卵を生んでいます。この蝶をつかまえ、エノキの枝に網をかぶせ、この中で卵を生ませました。27個の卵が得られました。網をかぶせたままで観察をつづけます。8月15日には5頭が蛹になりました。同じ環境で育っているのですが、それ以外はその時まだ幼虫で、大きさも終齢の40mmくらいから、まだ20mmくらいの小さなものもいます。つづいてつぎつぎと蛹となり、8月20日から羽化がはじまり蝶となって飛び立っていきました。最後の蝶は9月9日に羽化しました。ところがエノキの枝にかぶせた網の中にはまだ2頭の幼虫がのこっていたのです。しかも大きさは20mm。8月15日に見たときから少しも大きくなっていないのです。

 みどり色だった2頭の小さな幼虫は、冬が近くなると茶色にかわり、エノキの落葉の裏にかくれて越冬しました。翌年4月19日幼虫は若葉の出はじめたエノキの枝にもどりました。そしてエノキの葉を食べて大きく成長し、5月25日無事羽化しました。

 同時に生まれた兄弟の蝶たちは30日ないし40日で一人前になったのに、この2頭だけは10ヵ月もかけて蝶になったのです。

 蝶を育ててみると、以上のような例外に出くわします。虫たちと遊ぶ子供達は、もっともっとたくさんの事実を、教科書や本に書いてあることと違った事実を知っていると思います。ですから彼等が見てきた報告を聞いたとき本で知っていた知識と違うからといって、あたまから否定したりすることはできません。自然は絶えず新しい事実を教えてくれるすばらしい教師です。

 ただ私が見つけたような例外は、観察のためではありますが、かなり人工的な環境での実験の結果でした。ひょっとしたら、そのことが例外をつくる原因に影響を与えているかもしれないということも忘れてはならないと思います。


前ページへ 目次へ 次ページへ