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5−1.ついに巨大な象牙が顔を出す
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今回の発掘で一番の大物は何と言っても1m75cmもある象牙(切歯)2本である。
発掘する範囲を広げるため考古学の発掘などを専門に請け負う東海アナースに依頼して掘り下げ作業を行なったのは12月19日である。12月25日からの第2次の本格的発掘のための準備作業である。
骨を含むシルト層は北東方向に15m以上の伸びを見せる舟底状の形をしている。その形から考えて、この堆積物を運んできた流れは、北東を上流として南西に流れる方向であると推定できる。この上流側へ発掘を拡大する必要があったのである。
この作業をしていたリーダーの狩野さんが打ちおろした手ぐわが今までの骨格とは様子の違う骨の一部を掘りあてたのである。それは、まぎれもなく象牙の組織であった。今まで発掘を進めていた骨の密集械からは、2mも離れた地点である。翌日、その地点から1.3m離れた地点からも同じような象牙の一部が顔を出した。それぞれの場所から、この象牙の表面を追いながら掘り進めた結果、その日の昼すぎにこの両者は1本の牙の先端と根元であることが判ったのである。
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もう1本の象牙が、この象牙と重なるようにして並んでいるのがわかったのは12月25日のことであった。先の象牙を取りあげるために周りを掘っていた時に出てきたのである。2本の象牙は流れの上流側に先端をむけ、中ほどで重なるように平行にうずもれている。どちらもほとんど損傷はなく保存されている。実に堂々たる象牙である。ややねじれたわん曲のみごとなもので長さは1.75m、太さは根元で15cm。2本が完全に姿を表わした時、誰もが感嘆の声を上げたのも当然のことであった。
ここの地層と同じ青粘土層の上に生れ育った神出町(かんでちょう)出身の藤井さんは「僕の家の下にもアカシ象が寝ているかも知れんなぁー」と感慨ひとしおである。
しかし、これ程大きな象牙がおれることなく完全に、うずもれていたということはどういうことだろうか。一つの大きな問題である。このことは、あとで詳しく考えたいと思うが、このゾウがどのようにして、ここに運ばれて、地層中にうずもれたかを考える上で重要なことである。
待望の臼歯も12月20日に続いて出てきていた。
立命館大学の木谷さんが掘っていた[2−3]のグリッドからである。上あごの左右のものらしく、かみ合わせの面を下にしてうずもれている。重要品であるから、この取り上げは、久家さんがあたることになった。
ゾウの化石は日本の各地から多数産出しているがほとんどの場合は臼歯である。臼歯は他の骨に比べて固く残りやすい。象牙も同じである。脊椎や肋骨など壊れやすい骨がかなり完全な形で残されているのだから象牙や臼歯が出てきても当然のことであった。臼歯が重要な点は、その磨滅のしかたから象の年令の推定が可能なところにある。三枝さんは、このアカシ象の年令を50〜60才と推定した。
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さてこの巨大な象牙をどのようにして掘り上げるか。象牙は表面は硬そうだが内部は、もろいものであろう。このまま固化せずに取りあげるとしたら折れてしまう可能性は大である。今までの大物は石膏で保護をして取り上げたがあまりにも巨大な象牙では、とても無理だ。
そこで、とられた作戦は発泡ウレタンを使う方法である。象牙の下の地層をすっかり発泡ウレタンでおきかえ象牙をうきあがらせる。その全体を囲み込む木わくを作ってかぶせ、その上から発泡ウレタンをかぶせる。象牙は発泡ウレタンにすっぽりとおおわれた形で木わくの中にとじこめられることになる。次に木わく全体をひっくりかえして持ち出すという作戦である。
杉原さんは、1日がかりでみごとな木ワクを2つ作りあげた。労作である。
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12月27日。午後5時。夕陽が西の丘陵にかかるころ発掘現場は大きな拍手と歓声につつまれた。それは木ワクにとじこめられた象牙がまわりをとりかこんだ十数人の人の手で持ち上げられた瞬間である。箱をひっくりかえし、みんなは一歩一歩足元を確めながら斜面を運びおろしていく。この時、すっかり陽は落ち、あたりは夕闇につつまれていた。
こうして1本の象牙は無事取り出された。もう1本も、これと同じように翌日には取り上げられるだろうと誰もが考えていた。もう1本の象牙を取り上げるためには、この数倍もの労力を必要とするとは、この時はまだ、予想もしなかったのである。
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(次ページへ続く)
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