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6.難航する発掘作業
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発掘は座り込んだ姿勢での
根気のいる作業である
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密集する骨を一つずつ
とりはずしていく
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12月27日は、当初すべての骨を取り上げて発掘を完了する予定の日であった。1本目の象牙が取り上げられ、骨を含むシルト層の掘り下げはほとんど終り下位の青緑色粘土層が6m四方にわたって表面に出る状態になっていた。
2本目の象牙の根元に近い付近からは下がく骨の一部が姿をあらわし、頭がい骨の部分も発見された。しかし、その産出状況は今までとは、かなり違っていた。一つの骨のまわりに別の骨が、おり重なるような状態で、しかも骨と骨とが結合して分離できないのである。象牙を取り上げるためには周りの骨を一つ一つ取りはずして象牙だけを浮き上がらせる必要がある。作業は終日まわりの骨を取りはずすことを目標に続けられた。骨の密集部にまわりから数人がへばりつき、すわりこんでの作業である。
年末のこの時期、連日京都から出てきて発掘をする人達にも、つかれが見えはじめた。主婦でもある高瀬さんなどは家の仕事をほったらかして子どもづれの奮闘で「年賀状もまだだし、正月の用意もできていないわ」とのことである。
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作業の完了予定日は、どんどん延びていった。12月26日にはテレビ・新聞で2本の象牙の発掘のことが大きく報じられたため見学者はたえなかった。特に地元・伊川谷町吹上の子ども達は次から次へとやってくる。
私達の心配は二つあった。その一つは盗掘である。骨は表面がかなり出ており、その気になって周りを破壊すれば容易に持つていくことができる。もう一つの心配は凍結である。幸いにも今年の冬は暖冬で今までは凍結しなかったが、表面が露出した骨が水を含み凍結すれば骨は壊れてしまう可能性がある。どうしても年内に作業を完了したい、そんな思いは強いのだが作業は遅々として進まない。乾さんは象牙の根元にへばりついた下がく骨の分離に挑戦、松尾さんも反対側の密集部の取りはずしを試みるがうまくいかない。みんな必死で年内完了をめざしてがんばるのだが見通しが立たない。
12月30日午後、とうとう発掘作業は年明けまで持ちこすことを決定した。どのように象牙とまわりの密集する骨をとりあげるかについて議論がたたかわされた。
今までの作戦を続行して一つ一つの骨を分離していこうという意見。残っている骨をすべてブロックとして取り上げようという意見。第一の方法だと、まだまだかなりの日数が必要であることは目に見えていた。第二の方法は大型の機械を導入する必要がある。
この結論は持ちこすこととし、私達は残された骨を盗掘と凍結から守るために埋めもどす作業を開始した。
骨の表面にやわらかい紙を何重にもかけ、その上に新聞紙をのせる。次に、あまり荷重がかからない程度に土をかける。オーバーハングしている部分は発泡ウレタンで保護をする。ダンボール紙で更に保護をして土をかけシートでおおう。四重にもかけたシートは周囲を鍵ホックをしっかりと打ちこむ。周辺に大きな材を配置して近よれないようにする。正月といえども4日間の空白ができる。発掘の再開は1月4日と打ち合わせ、それまでの無事をいのって1987年の発掘は一応終了とする。
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ほぼ完全な形で
残っていた頸椎
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クリーニング中の頸椎
珍品、舌骨も出てきた
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