神戸の自然シリーズ19 アカシ象発掘記 神戸の自然研究グループ
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7.年始の大作戦
周辺を掘り下げブロックとして
うかび上がらせる


1月4日は雨で発掘を断念
木ワクの大きさを決めるために
大きさをはかる



 1月4日は朝から、あいにくの雨であった。発掘を始めてからはじめての雨である。残された骨全体をブロックとして取り上げるための段取りを打ち合わせた。

 まず木わくはすでに用意してあるものでは間にあわない。長さ2.3m、幅1.2m、深さ70cmは最低必要である。この木わくを作ってもらうことになったのは森林植物園である。ブロックを浮き上がらせるためには周辺を1mは掘り下げる必要があるし、取り上げた木わくを道路まで、おろすために法面(のりめん)を削って道をつけなければならない。そのためのショベルカーの手配を開発局に依頼することになった。発泡ウレタンも相当量必要である。

 1月8日にはブロックを箱づめにしてショベルカーでつるして道路までおろす。トラックに、つみこんで教育研究所まで運ぶ。木わくの大きさは、研究所のエレベーターよりはるかに大きいし、その重さは1〜2トンと想定されるので人力では、とてもかつげない。クレーン事で6階の屋上まで持ち上げる。そんな段取りをしたのが1月4日から6日にかけてである。



森林植物園から届けられた
巨大な木箱
幅120cm
長さ230cm
深さ70cm

ショベルカーでまわりを掘り下げる

 準備は、すべて完了した。あとは2.3m、幅1.3mの地層にトンネルを掘る作業である。私達が掘らなければならないのは固くしまった青粘土である。武器は千枚どおしとドライバー。運悪く雨が降ってきた。しかし予定を変えるわけにはいかない。5m四方のシートでテントをはり、その下で作業を続行する。テントの上には雨がたまり、その重みでたわみ、時おりそれがこぼれてくる。作業をしているのは周囲より1m程掘り下げた溝である。粘土は水を含みベチャベチャになってくる。

雨の中、テントをはってのトンネル掘り
暗闇での作業
木箱をおろすための道をつける


 藤池さんが、とどけてくれたあたたかいコーヒーがうまい。トンネル堀りを開始して1時間半後、象牙の先端に近い部分で長さ80cmのトンネルが貫通した。最長のところで1m40cmのトンネルを8本は掘る必要がある。ついに自分の使っているドライバーの先端が見えなくなり手さぐりの作業である。時刻は6時をすぎ、あたりは真暗である。この日は2本のトンネルを貫通させ、そこに発泡ウレタンを流しこんだところで終ることとした。

 翌1月8日、いよいよ最終日である。ショベルカーは朝早くから待機している。前日の雨ですべりやすくなった斜面の道をもう一度作りなおして、いつでもおろせる体勢である。

 前日と同じトンネルを掘る突貫作業が続けられた。

 「小さい頃、砂山を作ってトンネルを掘ったのを思い出すなぁ」と小林さんがつぶやいた。

 この日、応援にかけつけた中川さんの手のひらはマメがつぶれて真赤に皮膚がただれている。ドライバーを手のひらで力いっぱい押して粘土をとり除く作業を数時間も続けたからだ。意外な重労働である。

 左右から堀り進んだ穴が貫通し、相手の側から光がもれてくる時、山を貫く大きなトンネルの作業をしている労働者の感激がわかる気がする。

 3時頃には、8本のトンネルが完成。化石を含む地層は、すっかり発泡ウレタンのベッドの上に乗っかる形にまでなった。

 木わくが、かぶせられた上から大量の発泡ウレタンがそそぎこまれる。A液とB液を同量まぜあわせたドロドロの液体は1分もたたないうちに反応し、発泡をはじめる。やがて40倍にも膨張して固まったウレタンで木わくは、うずめられていく。約80lもの原液をほとんど使いはたした時、巨大な象化石の梱包ができあがった。

発泡ウレタンA液とB液を
混合する
象は完全にウレタンに
とじこめられた

木ワクをかぶせる

 上から大量のウレタンを流し込む ショベルカーは、1.5トンの象の梱包を
ゆっくりと運んだ

 ショベルカーのショベルが、その梱包の下に入れられアームがゆっくりと上がる。メリメリ、バキバキ......周辺を保護したベニア板の割れる音であった。一方が少し持ち上がったところで止めて様子を見て木材を下にかます。やがて梱包は横だおしになり、ついでゆっくりとたおれるように下面を上に向けて横たわった。成功である。梱包にロープがかけられやがて宙に浮く。ショベルカーのオペレーターの緊張した表情。約20度の斜面をゆっくりとおろしていく。

 神戸の繁華街元町には似つかわしくない大きなクレーン車が横づけにされている。20mもの長さのアームが伸び、ゾウの梱包が上がっていく。

 「ゾウが空を飛んでいる」といって笑った三枝さんは約3ケ月にわたった発掘のとりあえずの終了に感慨深げである。

 実は、これが発掘の終りではない。取り上げられた数百個の化石骨、数個のシカの化石骨のクリーニングの作業を経て、その記載と研究、そして、それらの組み立て作業などやるべきことは多く残っているのである。

 なにはともあれ舞台が伊川谷の丘陵地から教育研究所と京都大学の室内へと移った記念すべき時は1月8日6時半であった。

トラックにつみこまれる梱包


室内作業

屋上での作業

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