神戸の自然シリーズ1 六甲の断層をさぐる
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南の五助橋断層 1−五助橋(ごすけばし)断層まで

 地殻に働く圧力が大破砕帯を生んだ例として、六甲山北麓の六甲断層をみてきたが、表六甲の住吉川には、六甲山地の形成過程の謎をとく鍵となった五助橋断層がある。

 五助橋断層の断層面は、住吉川の中流にかかる五助ダムをこえた、すぐ上流で観察できる。この地点には、住吉川に沿って登りつめるコースと、市バス渦森台線を利用して赤塚橋停留所より徒歩で住吉台団地を横切っていくコースとの二つのコースがある。しかし、両コースは途中で合流する。五助谷の断層面の現場に到着するまでの途中、二、三の地学道草をくってみたい。

 住吉川沿いのコースは、自鶴美術館前を通り、西谷川にかかる落合橋を漬って、住吉川の本流の右岸の道にはいる。住吉川本流沿いの道路(甲南斎場への道路) にさしかかった道ばたに、昭和13年(1938年)の阪神水害の記念碑が立っている。記念碑の下部に刻まれた短い横一線は、水災の当日の水位を示す線で、その意味するところは深い。

 まず、目の前の住吉川の河床を流れている水量と水位からは、とうてい信じられない高水位である。もちろん、600ミリメートルという記録破りの雨量が、高水位の最大の原困であるが、それをうけて、もろくも一気に大量の土石流を産み出した六甲山の体質も見落すことのできない要因である。その脆い体質は、この五助橋断層の見学をとおして、やがて具体的に明かになり、理解されるものと思う。



五助橋断層への道

1.水災紀念碑 2.花こう岩古生層の接触部 3.川と別れる 4.5.6.五助橋断層の断層面 7.大月断層の断層面 8.このあたり展望がきく 2万5千分の1,西宮・宝塚

 このあたり、住吉川の左岸には花こう岩が連続して露出しているが、ところによっては黒っばい古生層が顔をだしている。この古生層は、約3億年前の海底に堆積した地層であるが、約7,8千万年前に地中深くから出てきた花こう岩マグマにとりかこまれたものである。この両者の関係は、住吉川にかかる大谷橋からも観察できる。橋の下流の小さい滝のあたりの川の右岸から川幅いっぱいに白っぽい花こう岩が露出しているが、左岸の崖から崖下にかけて黒っばい古生層が露出している。ここの古生層は花こう岩マグマの熱にやられ、そのとき、花こう岩マグマの成分がしみこんで、いちだんと堅くなり黒光りのする接触変成岩(ホルンフェルス)となっている。ホルソフェルスとは、牛の角のように堅い岩という意味である。

 五助ダムヘの道は、甲南斎場の横を通り、神楽岩ダムをこえ、東谷橋へと続く。

 東谷橋は、住吉川を渡り七輌場へ向う橋である。見学のコースは、この橋の手前で左に別れて、荒神山の急な東斜面の小道にはいる。胸をつくような急坂を登りきる(高度で約70メートル)と、そこは、荒神台から五助ダムへの広い道である。

 いっぽう、市バス荒神台口停留所より住宅街を通りぬけてきたコースは、かつては背の高いアカマツとその林床にモチツツジの多い典型的なアカマツ林であった。そして、この荒神山の南斜面一帯には、御影石を切り出した作業場の跡が林内の諸所に残っていたが、近代的な住宅地となった今はその面影すらもない。

 このコースと住吉川沿いのコースとの合流する所からは、五助ダムが正面に見え,ここから一キロメートルたらずの近い距離である。

花こう岩と古生層の接触部

水の流れている白い岩は荘こう岩で,左から出ばっている崖の黒い岩は古生層の砂質泥岩で,熱変成をうけて堅くなっている(昭54撮).
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