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南の五助橋断層 2−五助橋断層の断層面
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六甲山地内でもっとも高いダムは、この五助ダムで堰堤の高さ30メートル、その幅は70メートルある。このダムの右岸を巻くようについている小道を通り、ダムの砂の堆積面におりる。
断層面へのコースは、広い川原をつくっている住吉川本流ではなく、ダムの北すみに小さく流れこむ五助谷沿いにとる。五助谷は流路を東から東南へと曲げ、大きく半円を描くようにして北へもどり、もとの南北方向の流れをとるが、その間、谷の左岸には、直径1メートルをこすょうな花こう岩の礫や人頭大の大きさ、握りこぶし大等、さまざまの大きさの砂や礫からなる厚さ数メートル〜10メートルの地層が見られる。
そして、ダムから数分歩いた所で、この砂礫層は一変して花こう岩と接する。この両者の接触部が、五助橋断層の断層面である。断層面のようすは、裏表紙にカラー写真で示したが、花こう岩が圧砕され、約80センチの断層粘土があり、それをはさんで砂礫層に壊している。
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五助ダム北方の五助橋断層の断層面
五助谷の左岸の崖に断層面があらわれている.花こう岩と断層粘土との境は明瞭であるが,花こう岩が圧砕され,すべった跡が観察できる(裏表紙カラー参照,上の写真は昭和42年撮影). |
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石切道から見た五助橋断層
断層が通るところは崖崩れを起し やすく,遠くからでもその位置が わかる.撮影したのは昭和43年であり,現在はこの崖も草木が生えている(昭43撮). |
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つまり、ここでは北から南へ花こう岩、断層粘土、砂礫層の順で重なっている。
そして花こう岩と断層粘土との境は、北から東へ50度の方向を示し、その面は北へ60度傾いている。
花こう岩は、石英、斜長石、カリ長石、黒雲母からなる、いわゆる六甲花こう岩である。断層粘土の近くでは、いろいろな方向にひび割れがはいっており、そのひび割れの間隔はセンチメートルからミリメートル単位の範囲にわたっていて、鉱物にひび割れているのも認められた。また、ハンマーで衝撃をあたえるとブロック状に剥落する。そしてその剥落した表面には数ミリメートルの滑落面が認められる。とくに黒雲母はつぶされて、墨をはいたようにのびている。またカリ長石は、淡紅色を示さず、白っぽくなって斜長石との区別は肉眼では困難である。どちらの長石も水分を吸って膨潤し、自形ではない。石英ははとんど変化していない。花こう岩は全体にもろくなっている。
花こう岩から断層粘土へは急に変わり、両者は、一見、無関係のように見える。つまり、花こう岩が圧砕化されて、この場で粘土化したものが、この断層粘土ではない。両者の境が漸移的に変化しているのではなく、急変している。この断層粘土は、他の所から由来した可能性が大きい。
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五助橋断層
裏表紙(右)の説明,番号は下の本文を参照(昭53撮).
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断層粘土は花こう岩側(1)から砂礫層側(9)へ、次の順に重なっている。(2)紫がかった黒色粘土、4センチ、(3)石英混り淡褐色粘土、10センチ、(ときにべ−ジュ色の部分あり),(4)石英湿り黒灰色粘土、14センチ(直径4センチの花こう岩の亜円礫を含む)、(5)淡褐色粘土、15センチ(細長い形や丸形の花こう岩の小礫を含む)、(6)緑と白の細かな縞模様の粘土、4セソチ(一見緑色に見える)、(7)チーズチョコレート色粘土、20センチ、この粘土層と砂礫層との境(8)はかなり凹凸がある。砂礫層の礫の大きさは前述のように一定しなうが,ほとんどの礫は花こう岩である。また、これらの花こう岩礫の間を充填している砂は花こう岩の風化生成物の砂である。全体として、ゆるく南に傾いているのが、挟在している砂層からわかる。
ところで、この五助橋断層の断層面はどんなことをあらわしているのか。過去に起った六甲山地の動きの何をこの断層面は記録しているのだろうか。
ただ一か所の地質断面を前にして、過去の種々の変動を解明するのも楽しいが、もう少し情報量をふやすために五助橋断層を追跡して調べてみよう。
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