神戸の自然シリーズ1 六甲の断層をさぐる
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甲陽断層 (こうようだんそう)

 これまで紹介した三つの断層は、どれも片側に花こう岩があり、しかも、それがある角度で、もう一方の岩石や地層に衝き上げていた。これから案内する甲陽断層は、断層運動によって地層が断ち切られているようすが観察できた、六甲では珍しい例であった。



 住宅地に保存された断層
 阪急電車が芦屋川駅をでて、夙川駅とのほぼ中間、電車が登り勾配にかかるあたり、南側に緑の木立が見えはじめる。北側の窓には高塚山という松林におおわれた小高い丘が見えてくる。この丘の西斜面に甲陽断層の見事な断面がでていた。

 ここには高さ10メートルあまりの崖が南北に、西宮市と芦屋市との境界にそって、100メートルほどつづいている。この崖の南はし近くに、写真のように、ひとすじの地層の乱れた個所を境として両側の地層がはっきり食いちがっている。これが甲陽断層の断面である。

 断層の北側の地層は徐々に傾斜をまし、断層面ではほとんど垂直に近い傾きである。そして、これらの粘土層、砂層などは、断層面の南側には見あたらない。地層がクシャクシャに乱れた、幅1メートルぐらいの部分をはさんで、南側は砂や小石のまじった層と粘土層とである。この地層の傾斜は非常にゆるい。

 六甲山地の上昇運動にともなって、六甲よりの山側は、海側にくらべ、より高く上昇しその動きの違いが、ここにあらわれているのである。この断層を境にして、どれくらい地層がくいちがっているのであろうか。ここと同じ地層がよく連続して観察できる千里山丘陵での詳しい調査を参考に推定すると、数百メートルは食いちがっている。

 断層の北側の灰色のアズキ火山灰層は、断層の南側の地中深くにある。また、北側の地層の上には、さらに、これと同じ厚さの地層があったのであるが、断層ができてから今までに浸食されてしまったのである。

 この住宅地の真中にみられる甲陽断層の断面は、山の持ち主が阪神間に少しでも多くの緑を残そうと決意し、宅地開発から守ったために保存できた価値ある記念物である。



発見されたころの甲陽断層(昭34撮)とそのスケッチ,藤田和夫(1971).



甲陽断層の断層面

 ここの断層面は地層が食いちがっていて,初心者の学習には絶好の場所であったが,最近はコンクリートでうすくおおわれてしまった.

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