 |
 |
芦屋断層 (あしやだんそう)
|
都市近くの丘陵や山地は、住宅地として、十数年来急速に開発されてきた。
六甲の場合もその例外ではない。かつては緑の木立のすきまから、阪神の町なみがのぞめた静かなたたずまいの地が、数年訪れぬ間に様相ががらりと一変し、近代的な住宅地に生まれかわっていることがある。
六甲山の東南のはし、西宮市鷲林(じゅうりん)寺から柏堂(かやんどう)一帯にわたって造成されたとき、芦屋断層の露出地が消されてしまった。
橋の下に埋めこまれた断層 この芦屋断層の露出地は、夙川の上流の夫婦池の西側を川にそってのぼり、香雪記念病院から250メートルのところにあった。
|

|
|
|
芦屋断層の断層面 かつてはこの写真のように大阪層群の上に花こう岩が衝き上げ,さらにそれを段丘礫層がおおっている状態を詳しく観察することができた.しかし,現在は,この周辺の宅地化が急速にすすみ,この場所も石垣でおおわれ,断層の真上に橋が架けられている(昭43撮). |
|
写真(中段)の右下半が白い地層でできているが、ちょうど対角線をひいたように、左上半の色の濃い部分とが分かれている。写真に濃くうつっている部分が花こう岩で、これが、あとからできた砂や粘土の白っぽい地層(大阪層群)をおおうように、衝きあげてきて重なっている。写真中央の黒い物は、その両者が接する断層面においたショルダーバッグである。ここでの芦屋断層は、南北の方向にのび、西へおよそ40度かたむいている。
これまでの断層と同じように、衝きあげてきた堅いはずの花こう岩が、グシャグシャに圧砕されているのが目立った。そして、その破砕部は、約50メートル上流に設けられている砂防ダムまでつづく。この粘土状に破砕されてしまった花こう岩は、ここで大阪層群に衝きあげたときにできたものではない。たぶん、この断層のある地中深くで、花こう岩が圧砕されて、それに水が加わり、粘土状になっていたものが、六甲の上昇運動にともなって地表まであらわれたものと思う。
事実、山陽新幹線は、この芦屋断層の破砕帯を通過するのがたいへんな難工事であった。私も当時その工事現場を見学したが、水があふれ、曲げられた鉄骨や破れたコンクリート壁が工事の難行ぶりを物語っていた。
ところが、現在は、写真で示した断層の真上にがっしりした鉄筋の橋が架けられている。芦屋断層を観察するには、この場所がもっとも適した見学地であったのに、非常に残念である。
芦屋ゴルフ場や奥地のある高さ500メートルの高台と、六麓荘などの山麓部とは、きりおとされるような250〜300メートルにおよぶ急斜面で境されている。その急斜面と丘陵との接点を走っているのが芦屋断層である。
|