神戸の自然シリーズ1 六甲の断層をさぐる
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諏訪山断層 (すわやまだんそう)

諏訪山師層の断層面 とびらの写真(左)説明
左の砂礁層は生田川が運んできた砂や右でできている層である.右側の花こう岩が上昇したために,ポールの右の石が,それに引きずられて立っている.かなり新しい時期にもこの断層が動いたことを示している.ここは移転前の布引中学絞であった.


 昭和45年、山陽新幹線の開通にそなえて建築中であった新神戸駅の基礎工事現場で、諏訪山断層の見事な断層面が発見された。旧布引中学校跡を掘りおこしていたとき見つかったもので、その場所は完成した新神戸駅の西はしにあたると思う。

 そこでは、山側の花こう岩が、垂直にそぎ落とされた面を見せ、そのあちこちに断層粘土が生々しい色でへばりついていた。そして浜側には生田川が運んできた砂利や砂の層が、わずかに川下に傾いていた。この両者の境はじつに歴然としており、工事関係者の知らせでかけつけた者たちは、一瞬固唾をのんで、断層面に見入った。

 さらに、この断層の東への延長は、おりから移転改築中の布引中学校庭下のトンネル現場でも幅50メートルの破砕帯が見つかったのである。

 このとき、諏訪山断層がごく最近まで活動していたことを示す証拠が見つかり、関係者の注目を集めた。それはスケッチにも示したょぅに断層に接している小石が、明らかに山側に引きずり上げられていることである。この小石や土砂は生田川がせまい峡谷を縫うように流れくだり、この川の出口で広い平地へ、一気に吐き出したものである。地表から2メートル足らずの深さであることから、たぶん、歴史時代に入ってからの堆積物であろうと思われる。それを、このように動かした断層は、現在に近い時期に活動したと堆定できる。

 この断層面が発見されたとき、すでに新神戸駅の設計は完了していた。ところが駅構内をとおる断層の影響を重くみた国鉄では、急きょ鉄道技術研究所の技術陣を派遣するとともに、六甲山地の地質の権威である大阪市立大学の藤田教授らと、現地で、その対応策を練った。

 その結果、完成していた設計図を思いきって、破棄し、新たに設計にとりかかることをきめた。スマートな船型を基調にし、神戸市民に親しまれている新神戸駅は、その内部に地震やそれに伴う地盤の変動に対応できる能力を秘めているのである。すでにわかっている断層の場所は避けねばならぬが、工事の途中で発見されたょうな場合、新神戸駅のように、すばやく対応策をたてるべきであろう。



諏訪山断層が右ずれを示す航空写真

布引付近(新神戸駅より東へ)の谷すじを見ると,どれも諏訪山断層より北側は右に引きずられるように曲がっている.これは散訪山断層を境にずれ動いたためである.このような水平断層を右ずれ断層という.この航空写真は昭和24年(1949年)にアメリカ軍が撮影した2万分の1の写真.


表紙カラー写真(右)の説明

諏訪山断層は市街地と山地とを一線で境し,布引断層は山地内に凹みをつくっている.
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