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丸山断層 (まるやまだんそう)
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丸山断層 国指定の天然記念物である(昭53撮).
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市バス・(4)大日丘住宅前線は神戸駅と長田区雲雀丘の間を結んで走っている。長田を通り、坂の多くなるあたりに掘切のバス停留所がある。このバス停留所から北へ50メートルばかり行ったところに小山をとりまくようにバス道路から小道がわかれてのびる。
そのわかれ道のそばに白い小ぶりの標示板がポツンと立っている。天然記念物・丸山衝上断層の説明板である。
昭和7年、上治寅治郎博士(当時京都大学助教授)はここで衝上断層の見事な露出面を発見した。8千万年前ごろできた花こう岩が、それよりもずっと後の時期(約1,500万年前)にできた地層の上に衝きあげている現場をみつけたのである。 ほんらいならば、古い岩石や地層は、あとからできた新しい地層の下になっているのが正常な地層の重なりである。この上下逆転をおこした原因は、大きな地殻変動が起こり、六甲の基盤の花こう岩が、そのまわりにあった神戸層群を押しのけてせりあがってきたことによる。
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天然紀念物丸山衝上断層
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天然記念物指定当時の丸山断層 上治寅治郎(1955)六甲山の地質より転載. |
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六甲山地塁説をくつがえす この衝上断層(逆断層ともいう)の発見は六甲山成因論に新たな論議をまきおこした。それまでは六甲山の高い中軸部をのぞき南北の南側は、ずり落ちて低くなり、残った高地が六甲山であるという考えであった。北側に落ちて溝状の凹地になったのが、箕谷、大池、有馬、そして宝塚にぬける低地帯であり南側に落ちたのが、現在の市街地である。このような考えを地塁説という。
それが一転して地殻にはたらく圧力によって上向きに基盤が上昇して山地をつくったのだとする正反対の考えにかえざるをえない発見であった。しかし、この新説は容易にみとめられず、衝上断層発見後20年近くすぎて開かれた日本地理学会の野外巡検のさいに、夜を徹する論争があったときいている。現在六甲山地地塁説をとなえる人はもういない。
この六甲山成因の謎をとくきっかけになった貴重な断層面の現場は、残念であるが、かんじんのところが石垣でおおわれてよく見えない。たぶん雨水などで深くけずられて崖くずれをおこす危険度がたかまったので、天然記念物と知りながら石垣の補強工事をしたにちがいない。
昭和12年、国の天然記念物指定をうけたときの報告書には、この断層面は北から80度西の方向にむき、傾斜は北に25〜50度であると記されている。
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