 |
 |
 |
3.大湿原だった大阪湾
|
ところで、この日の調査でどんなことがわかったか。
まず、地層の年代をきめるために、学習院大学に測定を依頼した14C年代は、14,900年±500年前の測定値を示した。つまり、このピートをつくっている植物質は、今から15,000年前に死んだ植物たちの遺骸である。ピートは尾瀬沼のような寒冷な気候下の湿原地に多い。湿地に生えていた草やコケ類が水底につもっても温度が低いために分解されないで、そのままに残ったものがピートである。
ここは、神戸港の海底下であるのに、目の前にあるのは淡水のところに堆積した地層である。このピートが淡水のところにできたものであるという証拠は何かあるか。ケイ藻の化石はどうだろうか。ケイ藻はケイ酸の成分の殻をもつ藻類であるが、非常に小さく肉眼では見えない。川でアユが水あかを食っているが、その水あかはケイ藻である。ケイ酸でできているケイ藻の殻は頑丈で、死後も殻は堆積物の中に化石として残っている。しかもケイ藻の殻は、種ごとにその形態がちがっている。そして、好都合なことに、淡水と海水とでは、生息している種がちがい、それが、地層ができたときの環境を知る大きな手がかりになる。ふつう、湖、沼、川などの淡水にすむケイ藻の形は棒状や羽根板状をしているのに対し、海にすむケイ藻は円板状をなしているものが多い。
神戸大学の西村朋子さんは、私がここの潜函で採集してきたピートからケイ藻の化石をとりだして、当時の自然環境を調べる研究をすすめている。その日採集した15,000年前のピートから、西村さんは40種ばかりのケイ藻化石を見つけている。ところが、この40種はすべて淡水にすむ種ばかりで、海生種はひとつも発見されなかった。
|
 |
図版説明 ポートアイランドの海底下のピート層に含まれていたケイ藻の化石。
これらは淡水にかぎって生息する種である(西村朋子氏提供)。スケールは10μ。
|
たとえば、その中でもっとも個体数の多かったイチモンジケイソウの現生種は、高層湿原のミズゴケの生えているような所に特徴的に生息する種である。このことから当時は、尾瀬沼のようにミズゴケやカヤツリグサ科、シダなどの多い湿地帯であったことが想定される。
このようなピートは、これまでの調査で、六甲アイランドの海底下にもひろく分布しており、さらに東へ尼崎方面までもひろがっている。また陸上の神戸市内でも、大倉山の地下鉄工事場や灘郵便局の敷地からも発見されている。このことは当時、大阪湾から海がしりぞき、ひろい湿原になっていたことを証明するものである。その理由や、当時の自然環境について、つぎに述べる花粉化石は、もっと具体的に説明してくれる。
それでは、その湿原の周辺にはどんな木や草が生えていたのだろうか。ピート中に含まれている花粉や胞子の化石をとりだしてみよう。このピートから約30種の花粉化石が見出されたが、どれも現在の六甲山頂よりも高い、つまりもっと寒冷な土地に生えている植物が多い。その主なものをあげると針葉樹では、トウヒ、コメツガ、ウラジロモミ、アカマツ、ヒメコマツ等であり、広葉樹ではヤチヤナギ、ヤナギ、ハシバミ、シデ、カバノキ、コナラ、シナノキなどである。たとえば、トウヒは今の六甲山には自生していない。近畿地方では紀伊山地の大台ケ原の1,400メートル以上の高さに生えている。その他の樹木も現在は1,000メートル級の山地に生えているものが多い。
六甲山頂にさえ、生えていない樹木がポートアイランドのような低地に生えていたことはどんなことを示しているのか。これは、その当時の気候が現在よりも寒冷で、亜高山帯の植物が生育しうる気候条件であったとしか考えようがない。現在の気温減少率で当時の気温を推定すると、約5〜6度低かったことになる。気候は、一地方のみ特異な状態におかれることはなく、地球的規模で変わるものである。
今から2万年前ごろは、世界中が寒冷気候に見舞われていた氷河気候の時代であったことは、今日では常識といえるぐらいよく知られた事実である。氷河期に発達した大規模な氷床は、そのもとになる水が海水から供給されていたために、海面は現在よりも120メートルは低下していた。大阪湾の場所も水がなくなって陸地となり、海は紀伊水道のあたりまで後退していた。15,000年前といえば、その後の気候の温暖化によって暖かくなりかけていた時期であり、晩氷期といわれる時代にあたる。
先に述べたケイ藻の化石といい、花粉化石といい、肉限では見えないほど、小さく、顕微鏡の力を借りて数百倍にも拡大しなければわからない小さい生物の化石であるが、このように見事に過ぎ去った自然界のようすを再現してくれる。地層や化石によって過去の自然を復元する地球科学者にとっては、潜函は危険を伴い、体力を消耗するとはいえ、魅力一ぱいの記録の宝庫へのタイムトンネルともいえよう。また、超大型の有人採泥器ともいえる。
神戸の自然史を編集する地球科学のからくりは、玉津環境センターと、ポートアイランドの海底下の地層の観察例でおわかりいただけたことと思う。つぎの章では、大阪湾沿岸の海底下や神戸市内での地層観察で得た事実にもとづいて、神戸の自然史をひもといてみよう。
|
|