 |
 |
 |
3.9,000年前の海岸線は、尼崎で
|
私が本格的な潜函調査にとりかかってから5番日の調査地は、尼崎市の左門殿(さもんど)川にかかる辰己橋の潜函であった。ここでは、次にあげるような興味ある新事実がいくつも発見された。ここにその証拠写真をあげたが、深度23.4メートルで地層は有機質の黒褐色のピート質粘土層から、貝殻を多くふくむ黒褐色のガサガサした砂利混じりの砂質シルト層にかわる。この40センチ上位の地層から握りこぶし大のまるく角のとれた花こう岩の小石に、マガキが付着したままで化石になっているものを採集した。マガキは潮間帯に生息する貝であるし、まるい石は海岸の汀線にある石の特徴をそなえている。この石付き化石とともに、ウネナシトマヤガイ、カワアイ、ユウシオガイ、ヌマコダキガイなどの貝化石を採集した。マガキの14C年代は8,820年±130年前と測定された。
この化石を採集したところは、ほぼ9,000年前の海岸線であると見てよい。この前の年、辰己橋より東へ数百メートルの所にかかる中島大橋の潜函に入っていたが、ここでも深度23.1メートルで暗褐色のピート質粘土層の上に重なる砂まじりのシルト質粘土層に生痕化石が残っており、ハイガイとヤマトシジミとを採集した。そのヤマトシジミの14C年代は8,880年±120年前であり、その年代は、この辰己橋の観察結果とも矛盾しない。約9,000年前は、海面は今の海面下25メートルまで上昇していたのである。
しかし、この上位の深度2.4メートルで採集したイセシラガイは9,410年±150年前で、前述の年代よりも古く、地層の順とは矛盾した結果を示した。14C年代の測定値のなかにはときとして、地層の重なりの順とは逆の年代が測定されることがある。そのようなときには、付近の測定結果や地層の観察結果などを考慮して、その測定値を採用するかどうかを判断している。
|
|
|