神戸の自然シリーズ4 六甲の森と大阪湾の誕生
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2.10,000年前は淀川口まで

 大阪港の港外を埋立てて造成した南港埋立地と築港側とをつなぐ港大橋は、橋脚間が510メートルもあり、海面からの高さも80メートルに達する長大橋である。築港側の主脚(P2)の潜函で、ここへ海がはじめて到来した証拠を入ることができた。海面下30.8メートルの深さの地層に生痕化石が出現しはじめる。それよりも下の数メートルの地層は黒っぽい粘土質のシルト層であり、イネ科植物の根(たぶんヨシの類と思われる)が直立状になったままの化石がみとめられ、かつての河口付近のヨシ原の状態が想定される淡水成層に近いものである。


 ニオガイの化石
海の進入を示す生痕化石
(港大橋 −30.8メートル)


 写真のミミズがはいまわったような穴に砂がつまっているのは、かつて、ここに海が入ってきたとき、波うちぎわの潮の満ち干するところに生息していたカニ類やゴカイ類、貝などのすんでいた巣穴である。そこを住居とした生物たちの死後、砂がその巣穴にたまって残ったものである。ここからニオガイの化石も採集された。ニオガイは岩や泥中に穴をうがって生活する二枚貝で、生活型から穿孔貝(せんこうがい)ともいわれる。関東地方南岸で、このニオガイの生息深度をくわしく調べた記録があり、それによれば、ニオガイは海面上30センチから海面下80センチの間に生息している頻度がもっとも高いという。ニオガイのみつかったところを当時の海面と判断してよいわけである。

 それでは、この年数は今から何年前か。私は、この化石がみつかったとき、海底下の潜函作業室で長い時間をかけて、化石を集めたが、何しろニオガイは小型の薄い殻の貝であるから、一時間もかけてやっと7グラムくらいしか採集できなかった記憶がある。ふつう放射性炭素による年代測定には、40グラムの貝殻を必要とする。余りの少量の試料に、測定を依頼した日本アイソトープ協会の浜田知子さんに一度は測定を断られた。けれども、私は大阪湾にはじめて海水が入ってきた時代を、ぜひ知りたいという強い気持ちもあって、強引に浜田さんに測定をお願いした。はたせるかなその年代は10,220年±770年前という誤差範囲の大きい値がかえってきた。ところがほぼ同じ深さの30.8メートルで採集した木片では、9,600年±255年前の年代が測定されたが、この年代はさきのニオガイが示した年代の誤差範囲に入る測定値である。

 この二つの年代測定値を手がかりにして、海は約10,000年前にはすでに大阪港の近くまで到達しており、海面は、現在の海面からみて、マイナス31メートルのところまで上昇してきたとみてよい。このときの海は、古淀川の川すじを中心にまわりにひろがり、今の大阪湾を小ぶりにした形であった。神戸では、現在のポートアイランドの東南端には、この海はすでにとどいていた。当時の海は大阪湾の真中よりも神戸側にかたよっていた。

 そのほか大阪港の地層には、その当時のできごとを示す二つの記録が残っていた。そのひとつは白色の薄い火山灰層で、その厚さは数センチである。その深度は30.8メートルで、年代はさきの木片の示した9,600年前である。この火山灰には紫蘇輝石角セン石、普通輝石、磁鉄鉱などが含まれていて、火山ガラスの屈折率は1.522〜1.525で、日本の火山灰を広く研究している群馬大学の新井房夫さんにこの火山灰をみていただいたのであるが新井さんの火山灰のカタログには、この種の火山灰はまだ登録されていない新顔だそうである。新井さんの予測では、島根県の三瓶(さんぺ)火山が噴出源ではなかろうかとのことである。

 もうひとつの記録は、ニオガイの化石が見つかった地層の上に川砂の層が、1メートルの厚さで重なっていることである。これは、たぶん、その当時海面がわずかに低下したため、三角州が一時的に海側にはりだして、河口付近にできた砂堆であることが、のちに旧海岸線を復元していく過程で明らかになった。

 この砂層をおおって、再び黒っぽい粘土質の堆積物が重なる。そしておびただしい生痕の化石やヤマトシジミの化石が採集できた。ヤマトシジミは川の水と海水とが入りまじる河口付近の汽水域にすむシジミ貝である。この28.4メートルで採集したヤマトシジミの14C年代は9,840年±165年前、木片では9,120年±155年前であった。ともに同じ深度で採集した試料であるから、同年代であるべきはずであるのに、この例のように、しばしば異なった測定値の得られることがある。この地層の上下の14C年代を参考にして、木片の示す年代のほうが調和的な年代であると判断した。

海が一時停滞または低下したことを示す砂の層 タニシの化石


 この28.4メートルから24メートルまでの4メートルほどの層準からは、アサリ、ハマグリ、ヨコヤマミミエガイ、ヤマトシジミなどが採集されたが、特異な例として川にすむタニシがみつかった。これは川から海に流されてきたものであろう。ここの地層は黒っぽい粘土層の中に厚さ1センチまでの砂の層がきれぎれに挟まれて、黒地に灰色の縞模様のようであった。これはラミナ(葉理)といい、河口付近や沿岸の堆積物に特徴的な層相なのである。ラミナのできた原因は、海に流れこんでくる川の勢いがたえず変わるような位置にあって、増水時には粒の粗い砂がたまり、平穏で静かな状態のときには、粘土質の粒の細かい堆積物がたまるという、きわめて河口に近い所の堆積物であることを証明するものである。

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