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六甲周辺の接峰面図(藤田和夫1989) |
接峰面図でみるかつての六甲山地
この見なれない地図は、地形図を2km方眼に切り、それぞれの中の最高点をつないで作ったもので接峰面図という。2kmの間隔では生田川や天王川などが掘り下げた河川の地形は出てこない。つまり接峰面図は谷川による浸食作用が始まる前の生まれたばかりの六甲山地の地形を表現しているといえる(厳密には作業仮説図というべきであるが)。
六甲山地の北東 ― 南西方向の山なみは明瞭にあらわれ、とくに南斜面のけわしさが目立つ。六甲山項から伊丹の方向に地形をみると、山項平坦面と奥池の平坦面との間に急斜部があり、ここを五助橋断層が走る。さらに奥池平坦面と甲山・驚林寺との間に急斜部があり、芦屋断層がここを通る。さらに地下の構造をみると、それぞれの平坦面は一方に断層、他方に急斜面に境されているブロックであることがわかる(49ページ)。
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東お多福山上空からみた六甲山頂 |
およそ100万年もの長い間、六甲山地に働く東西または北西
― 南東方向の圧力を受けて、六甲山地が上昇してきたことを示す。岩石は圧力に対してある程度はたわみの変形によって対応できるが、その限界を超えると破壊され、大きな亀裂(断層)が生じ、大地の大規模な振動(地震)が起り、地表には上下、水平方向に変位ができる。そのような大地震による垂直方向や水平方向の変位の積み重ねが六甲を生んできたのである。
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