神戸の自然シリーズ21 六甲山はどうしてできたか
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道路わきに立つ水災記念碑
記念碑の台石に刻まれた水位

水位計の裏でホルンフェルスと花こう岩が接触
このマンションの前が観察地


六甲で一番古い丹波層群

 住吉川の地質見学コースは、自鶴美術館をすぎて住吉川が西山谷に向う川と分れる所に立つ水災記念碑からはじまる。

 記念碑に刻まれた昭和13年水害のときの水位面は、とても信じ難い高さにある。道路カら住吉川の川原までのぞきこんで、当時この高さまで土石流が盛りあがってきたことを想うだけでもその凄まじさがうかがわれる。斜面の崩れを防ぐ緑を育て、度を超した開発はつつしまねばならない。

 水災記念碑の対岸は花こう岩であるが、川に沿った高層の住宅ビルの前の川岸に六甲山地では一番古い地層である中〜古生層の丹波層群の黒っぽい泥岩があらわれている。水位計と増水予報センサーの入った観測施設の裏側の崖に、花こう岩布引花こう閃緑岩)と黒い泥岩ホルンフェルスが接している。

 この泥岩ホルンフェルス接触変成岩)は約7千万年前に花こう岩のマグマが貫入してきたとき、泥岩や砂岩などがその熱のために変質したもので、接触部では花こう岩マグマが泥岩や砂岩中にしみこみ、新しい変成鉱物をつくった。ホルンフェルスというのは熱による変成作用をうけてできた岩石をさしていう名称だが、牛の角のように固い岩の意味である。



人物の正面が泥岩ホルンフェルス。右の白っぽいのは花こう岩
泥岩ホルンフェルス(左)と花こう岩(右) 泥岩中にしみこんだ花こう岩


 それでは花こう岩マグマが入ってくる前にあった岩石の泥岩や砂岩は、いつごろ、どんな所に堆積してできたものなのか。今から3億年ぐらい前の石炭紀から1億5千万年ぐらい前のジュラ紀まで、六甲などを含めた日本はアジア大陸の東の端の海底にあった。そこは海洋が大陸地殻の下に沈みこんでいくところにあたっていたが、ジュラ紀のころ、大陸側から大量の浅い海でできた堆積物(地層)が地殻変動をうけて、海洋底にある古生代末の地層群の中にまき込まれるように入っていった。その結果、石炭紀、ぺルム紀などの3億年〜2億5千万年前の地層と1億5千万年前の地層とがいっしょになって産出することになったのである。

 ここの泥岩はいつの年代かというのは、放散虫という微化石で決定できるのであるが、残念なことに花こう岩マグマの熱のために放散虫化石は消失していて手がかりは残されていいない。ただ北区山田町からは2億数千万年前の紡錘虫化石がみつかっている。

 この水位計からすぐ上流にかかる橋まで丹波層群に花こう岩が入り込んだ複雑な関係の接触部がつづく。

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