神戸の自然シリーズ12 神戸の地層を読む1
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2.アカシ象の発見史
 アカシ象は、どんな特徴をもち、どれくらい昔に日本にすんでいた象なのでしょうか。

 アカシ象の学名はパラステゴドン、アカシエンシス (Parastegodon akashiensis TAKAI 1936)といい、1936年高井冬二博士によって発表されました(1)。これはバラステゴドン属に属する新種の象で、明石で最初に発見されたという意味です。

 ところが、アカシ象の発見と命名には、少し混み入った事情がありました。昭和のはじめ頃から、明石市の林崎(はやしさき)から東二見(ひがしふたみ)にいたる海岸の崖をつくっている青粘土には、鹿や象などの化石がしばしば発見されるので注目されていました。その頃のようすは直良(なおら)信夫博士の最近の著書(2)「学問への情熱」にもかなり詳しく書かれています。直良博士によれば、地元で瓦作りをしていた桜井松二郎さんも大変化石の好きな方で、直良さんとは競争のようにして化石をさがしたそうです。現在の西八木(にしやぎ)の海岸は防波堤が完成して、波の夜食を防いでいるので、崖崩れは起りません。しかし、直良さんや桜井さんが活躍した昭和の初め頃は、台風や大雨のあとにできる崖崩れ跡が絶好の化石採集地でした。

 アカシ象が、それまでに発見されていた象の中には見当らない新種であることが決定的になったのは、桜井さんによって西八木の青粘土(林崎粘土層)から採集された標本にもとづく研究の成果によるものです。ところが、アカシ象の命名のもとになったこの標本については、奇しくも二人の研究者が全くべつべつに研究していました。その一人は当時東京大学の学生だった高井冬二博士で、もう一人は東北大学の学生だった故鹿間時夫博士です。その上、二人はそれぞれの研究の成果を、帝国学士院記事という同じ学会誌に論文を投稿し、どちらも編集委員会の審査をパスし、同誌に掲載されました。高井博士の論文の(1)次のページは鹿間博士の論文(2)です。高井博士は、歯の形態を中心に、鹿間博士は歯に加えて頭骨などについても調べています。そして両博士とも、この象は東アジアに多いステゴドン象の仲間に属するが、歯槽が狭く高いことを理由に、バラステゴドンという新しい属に独立させるべきであると提唱しています。高井博士は象の種名をパラステゴドン・アカシエンシスと命名し、鹿間博士はパラステゴドン・ニッポニクスと名づけています。

 バラステゴドン属の象であることに両者の見解は一致しているのですが、種名としては、一方はアカシ象とし、他方はニッポン象と名づけました。一つの種に二通りの名前が命名されたわけです。

 両博士の論文を受付けた故矢部長克博士(当時東北大学)は、この間の事情に関して、種名については、鹿間博士が高井博士の命名したバラステゴドン・アカシエンシスに同意した旨を、高井論文の脚註に記しています。このような経緯をへて、アカシ象は学問の場にデビューしました。地元の熱心な化石蒐集家の手で地層から掘りだされた標本が、べつべつの機会に異なった研究者に研究資料として提供されたところにこの混乱が生じたとも言える珍しいケースです。

 ところで、ヒトをはじめ、大形動物の場合、化石化してよく残るところは歯です。私達の歯でもそうですが、いろいろ物を噛み砕く能力は抜群なことでもわかるように、小さいけれども硬いつくりなために、化石になりやすいのです。また歯だけでも、動物の種類や年令をはじめ食性などにいたるまで推定できます。とくに、歯と頭骨とは、象の化石を研究するとき、もっとも綿密に調べる個所です。

 さきに述べた経緯をへて新種として学問の世界で認められたアカシ象ですが、次に紹介する紀川晴彦さんの発堀によってはじめてその全容が解きあかされたといえます。

 昭和35年の冬、中学1年生の紀川さんは、西八木海岸の「明石原人発見の地」 の標識の立っている所からほぼ200m東へ寄った崖で、象の牙を発見しました。発見した日は、太い象牙を三分の一ばかり堀りだして帰途につきます。それからの彼は冬といわず、夏といわず日曜日や休日には、西八木海岸で象の発掘に過ごすことになります。そして、高校の卒業を迎える直前まで、実に6年間にわたって地道にこつこつと掘り続けたのでした。6年間の採集標本は97個にも達しました。


紀川さんがアカシ象を掘り出した西八木海岸


 紀川さんからの手紙をうけた古生物学者の井尻正二博士のはからいで、大阪市立自然史博物館を中心にした発指調査団がつくられ、彼が掘り残した化石の発掘が引きつがれました。これらの標本にもとづいて同博物館の樽野博幸さんの復元作業がはじめられ、苦心の末、写真のような見事な骨格標本が完成したのです。この間のようすは、紀川さんの手記(4)や樽野さんの論文(5)、亀井節夫博士の著書(6)などで知ることができます。

 アカシ象は、背の高さが1m50cmほどで象としては小型ですが、長さ1mほどのゆるやかに湾曲した牙をもった象です。アジアに多いステゴドン象の仲間で、草原よりは、森にすんだ象だと考えられています。この象は今から150万年も前から西日本を中心に関東地方におよぶ広い範囲にわたって生息していたことが、化石の産出で裏付けられています。

 さて、八木さんと私が神戸研究学園都市で発見したアカシ象の歯は、不完全ですが、それでもこれまで発見されたものの中では一番大きいものだそうです。写真には3枚の稜がうつっていますが、もし欠けていない状態で採集されると、13枚の稜で一つ歯になります。残りの10枚分は溝をつけたときか、化石になるまでに壊れていたのかも知れません。この歯は右の下あごに生えている歯(右下大臼歯)で、象は、左右に1本ずつ、こんな大型の臼歯をもっています。この化石では、歯の幅、高さともに10cmです。この大きさを手がかりに、アカシ象の全身を推定してみると、肩までの高さは2m近くになり、これまでのアカシ象は小型であるという定説はくつがえされそうです。 私たちが発見したアカシ象は、神戸市研究学園都市のほかに、ここから1kmばかり西の伊川谷高等学校の近くの青粘土層からも臼歯の化石が発見されています。

 アカシ象は、その後、頭骨などを詳しく調べた結果、ステゴドン象に属することが明らかになり、ステゴドン・アカシエンシス、Stegodon akashiensis (TAKAI)と呼ばれています。

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