神戸の自然シリーズ12 神戸の地層を読む1
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8.高塚山と学園都市の地層はつながるか


■学園都市でフジタタフを見つける

 今まで調査してくる中で、高塚山付近の地層と、学園都市内の地層との関係が、いまひとつはっきりしませんでした。その理由は両方の場所に共通する火山灰層粘土層が見つからなかったからです。

 はじめのうちは、ヤギタフフジタタフは同じものではないかとも考えましたがそうではありませんでした。この問題が解決したのは、昭和57年12月のことでした。地下鉄オープンカットの北側に排水口の工事が進められていた時、東西250mの連続露頭があらわれました。ここでは、小寺層の第一湖成粘土の下にもう一枚、湖成粘土が見つかり、この粘土層の上に数十cmの厚さの火山灰がありました。この火山灰は、高塚山で見つけたフジタタフに色や粒度がよく似ています。高塚山層の不整合の下の湖成粘土は、小寺層の第一湖成粘土の下位にある粘土(第0湖成粘土)に相当するわけです。

 第0湖成粘土とフジタタフの上に、第一、第二湖成粘土、ヤギタフが重なっていると考えられます。高塚山付近で、第一、第二湖成粘土が見つからないのは不整合によって削り取られてしまったからでしょう。



■高塚山と馬谷の海成粘土
 高塚山層の湖成〜海成粘土層と、馬谷の粘土層との関係はどうなるのでしょうか。私たちは、はじめは別の時代に堆積した地層だと頭からきめてその前後の関係をいろいろ調べていましたが、どうもわかりません。

 ところがある日、ハッと気がついたのです。二つの粘土層はつながっているのではないか?同じ粘土層なのではないか?もし、二か所の粘土が同しだとしたら…。まず地形図を見ました。高塚山の粘土は標高105m、一方馬谷の粘土は、そこから尾根をぐるりとまわって裏側にあたる位置にあって95〜100mの高さにあります。大きな違いはありません。一枚の粘土層が馬谷と高塚山でちょっと違う表情を見せていたのだと考えるのが最も自然です。なぜこんなことに気がつかなかったのでしょうか。

 私たちは、(1)高塚山の粘土がかなり寒冷な時期のものだという研究があり、一方で馬谷の木の実の化石は温暖な気候を示していること、(2)出てくる化石のようすが全く違う、(3)一方は海成粘土、もう一方は湖成〜海成粘土であること、(4)ハシモトタフが馬谷にはないことなどからいつの間にか二か所の粘土層は違うものと思い込んでしまっていたのです。

 (1)に関しては、高塚山層の化石はサンゴをはしめ暖流の影響下の生物であることがわかってきました。(2)や(3)は、場所が違うのだから化石の含まれ方がちがうのは当然だし、湖は馬谷の方には広がっていなかったのだと考えればいいのです。

 ところが(4)の火山灰については、
「馬谷には本当にハシモトタフはないのだろうか」……
「馬谷のピンクの粘土はどうだろう」
「新井さんは火山灰ではなく粘土だといってきたけど…」
ハシモトタフも粘土化がはげしいとあった。」
「そういわれれば色の感じも似ているな」
という程度で、(4)に関しては現在の所、未解決です。

 私たちが調査した地域内での地層の関係や続き方やその変化は、これで一応の結論が出たことになります。ではこれらの地層は、大阪地方の大阪層群のどの地層と同じ時代にできたものなのでしょうか。この問題は最終章でまとめてみるつもりです。


 地下鉄北の排水トンネル工事の時にあらわれた地層の断面
 傾いた砂れきの地層が、水平の湖成粘土の下に入りこむようになっている。




名谷から小寺にかけての層相概念図



研究学園都市から高塚山付近の地質図

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