神戸の自然シリーズ12 神戸の地層を読む1
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7.地層は、変化する
■地下鉄のオープンカット
 地層の調査というのは、部分的に見られる断片的な情報をもとに、いろいろな推論をしてそれをつなぎあわせて地層の関係や変化を明らかにしていくものです。どんな考えも、本当に正しいのだろうかと不安はつきまとうものです。

 私たちは、昭和57年秋、今までの推論が確められる事件に出合いました。学園都市の工事現場を東西に横切る1キロもの大きなみぞが掘られたのです。工事関係者から見れば予定の作業なのでしょうが、私たちにとっては「事件」とも言えるでき事だったのです。

 駅の崖と呼んでいた崖も、アカシ象の化石の出たうしろの山もすべてが削り取られ、そこに地下鉄の軌道を敷くための掘割が作られたのです。地下鉄と言っても、ここは地表には何もないのですから、オープンカットで掘ればいいわけです。

 この地下鉄の堀割は、私たちが今までいろいろと考えていた地層の続きぐあいと変化についてあまりにもみごとに事実の回答を見せつけてくれたと言えます。



■地層の変化
 ではこのオープンカットの側面を東から順に見ていくことにしましょう。地層は、全体に西に傾いていますから、東から見ていくとい、つことは地層の下部(古い方)から見ていくことになヮ、西へ行けば行くほど上部(新しい方)の地層が見られます。

 始めは砂れき層です。30度ほど傾いていますが、これは前に述べた粒のそろわない扇状地砂れき層です。その間に数cmから数十cmの砂の層が何枚もはさまれています。れきが密集してその間をうめる砂の部分がほとんどない所もあります。その上は砂層、砂れき層が交互にくりかえす部分が長く続きます。砂れき層から砂層にだんだん変化していることがわかる地層もあります。砂層と砂れき層の関係をみると砂れきの地層が砂の地層にささり込んだようにみえます(インターフィンガー)。砂はあまり粒の細かくないサラサラした砂です。この中に薄い白っぼい粘土の地層が2枚出てきます。この粘土は広く広がっているものではないようです。砂と砂れきのくりかえしの地層に、厚さ5mの青緑色の湖成粘土がはさみこまれるようにしてあります。第一湖成粘土です。その上には、第二湖成粘土があります。

 私たちが扇状地砂れき層と考えた厚い地層は下は第一湖成粘土よりかなり下部から、第二湖成粘土の上にささり込むようにしてぶつかっていることがこれで確認できました。第二湖成粘土が出てくるあたりになると地層の傾きは15度ぐらいになっています。地層はだんだん傾きがゆるやかになって、やがて水平に近くなってしまいます。今までは東から西に見ていくということは地層を下から上に見ていくということだったのですが、このあたりからは水平の地層を横に追いかけていくことになります。約300mにわたって第二湖成粘土ばかりが延々と続きます。この粘土の間にヤギタフがはさまれています。

 第二湖成粘土は、駅の崖で見た時は、厚さが7mでしたが、予想以上に厚くなっており15m以上にもなります。西へ行くに従って急速に厚くなっているのです。

砂層と砂れき層の指交関係
インターフインガ−


■削り込まれた地層
 ここで私たちは不思議な事実に出くわしました。粘土の間にはさまれている火山灰層ヤギタフ)が急にとぎれているのです。20cmほどの火山灰層は西へ行くとだんだん厚くなって1m以上にもなったのに、それが突然消えたのです。ところが、20mほど前方にまたあらわれています。ここだけ火山灰がたまらなかったのでしょうか。



 そこでいつものパターンで地層を離れた位置からながめてみました。火山灰はとぎれた20mほどを無視すれば、明らかに連続して続いています。ここだけ何者かによって削り取られたのだとしか考えられません。

 私たちは粘土というのは静かな湖にゆっくりと、たえまなくだんだんとたまっていったものだと思っていたのですが、この事実は、ある時には、せっかくたまった粘土も削り取られることもあるのだということを教えてくれました。削り取られたあとにはまた同じような粘土がまたたまっているのですから、ふつうは削り込まれた証拠は残らないのです。ここではたまたま火山灰があったためその証拠を現してしまったのです。

 同じようにこの粘土が削り込まれたようすは何か所か観察できました。そのあとには、前に述べた木片や木の実を含んだ黒っぼい粘土や砂やれきでうめられています。



 湖の水面が下がって湖畔のようなところになって、そこへ川の水が流れ込んだのかもしれません。オープンカットの斜面は南北両側にあるわけですからその両側の削り込みの部分をつないでみればどの方向から水の流れがあって削られたかが推定できます。その方向を調べてみると二つの削り込みの部分は、北東方向にだんだん細くなっていますから、川は北東方向から流れ込んだのではないかと考えてみました。

 一枚の地層はどこまでも同じ姿で続くものではなくその環境の違いで変化するし、時には一度たまった地層も運び去られ、またたまりなおすという複雑な過程をへてできるものです。それをまざまざと見せてくれた地層の断面であったわけです。

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