神戸の自然シリーズ12 神戸の地層を読む1
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1.急傾斜の砂れき層の謎


 いままで調べてきた高塚山層の名の由来である高塚山は、若葉学園の北東500mのところにあります。高塚山と名づけられた山は、神戸市には、他にも三つほどありますが、いずれも、古い時代の塚=古墳があることからつけられた名前のようです。

 さてこの高塚山の南西の登り口のあたりに、かつて砂利を採取していた跡があります。もちろん砂利を取っていたくらいですからこのあたりの地層は、砂れきの多い堆積物からできています。この砂れき層は、上の写真のようにずいぶん傾いており、その傾きは45〜50度にもなることは以前からよく知られていました。

 傾いた地層そのものは、とりたててめずらしいものではありません。しかしこの傾いた地層が、今まで書いてきたように第四紀という時代の大阪層群と呼ばれる地層であるとなると事情は違ってきます。第四紀という時代は、せいぜい古くても200万年前であり、それは地質学の時間の感覚では「つい最近のできごと」とも言える時間なのです。地層が傾いているということは、そこに何らかの地殻の変動があったわけで、たった200万年前から現在までの短い間に地層を50度も傾ける地殻変動というのは非常にめずらしいことだと言わざるを得ません。

 学園都市でも、かなり厚い砂れき層が30度ほど傾いているということは書きましたが、どうしてこんなに傾いた地層があるのかということにはふれませんでした。一体どんな地穀変動がいつごろあったのでしょうか。

 結論から先に言うと、実はこの地層の傾きは、六甲山のおいたちと深いかかわりを持つできごとだったのです。そのかかわりとは具体的にはどんなことなのでしょうか、今から考えていくことにしましょう。

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