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この章まで読んでいただいた方には、この本は内容の大部分を高塚山層と小寺層との二つの地層に関して記述しているのがおわかりになったと思います。研究学園都市の地盤は、この二つの地層からできています。これまで断片的に書いてきた内容をまとめるのが、この章のねらいです。
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1.50万年前の海と生きもの
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おびただしい量の貝の化石をはじめ、サンゴやサメの歯などの珍しい海の生物の化石の発見された高塚山層ができたのは、今から何万年ぐらい前のことでしょうか。研究学園都市の近くまで海が入りこんできたのは、どれぐらい前のできごとなのでしょうか。
私たちは高塚山層の火山灰・ハシモトタフの中に含まれているジルコンを試料にして、フィッション・トラック法による年代測定を依頼していました。49±0.09M・yというのが、高塚山層の放射年代と測定されました。M・yはミリオンイヤーの略で、百万年前をあらわしますから、49万年前プラスマイナス9万年前です。およそ50万年前のことです。
それでは50万年前に、大阪湾に入り、垂水・舞子・伊川谷までも進入してきた海はどんな海だったのでしょうか。
十数個も採集された単体サンゴは、東京大学の浜田隆士教授に調べていただいた結果、「シオガマ、サンゴ」であることがわかりました。シオガマサンゴは現在も日本列島周辺の海に生息しています。暖かい黒潮の流れる沿岸に多いのですが、太平洋岸では仙台湾近くまで、日本海でも能登半島からも報告されています。そして、私たちが採集したうちの一つは大きく、(裏表紙)日本最大の標本であるとの折紙をつけてもらいました。
サメの歯はどんな結果になったでしょうか。黒い歯は森さん(垂水区役所)、白い歯は池田さん(多聞東小学校)が採集された標本です。サメのほうは、京都大学の久家(くが)直之さんに神戸へきていただきました。久家さんは標本をみるなり、これはメジロガメの上あごの一番前の歯(白い)と、下あご(黒い)の歯ですと教えてくださいました。メジロガメは、現在は世界の海、とくに温帯南部(日本では黒潮域)より熱帯にかけて分布している種で、体の長さは3メートルぐらいで、肉食性のサメとしては大型の種類だそうです。このサメの特徴として、広い外洋のみならず、ときとして淑戸内海のような内海や河口などの淡水域に出没したりする分布範囲の広いサメです。
サンゴもサメも暖海性のものであり、この水域は黒潮の影響下にあったということがわかってきましたそれでは、もっとも量的に多い貝化石からの情報はどうでしょうか。安藤保二さんは、高塚山層から20種の貝化石について報告していますが、どれも暖水域の種であると述べています。とくに従来はヌマコデキガイが貝層の一番下に多いことから、当時は冷水域ではないかと注目されていましたが、この貝はヌマコデキガイではなく、同じ属の新種であるとして、ヒメヌマコタキガイとして発表されています。
さらにケイソウでも暖かい海にすむサイクロテラ・イタリカが多産し、この海に黒潮からわかれた暖かい海水の流入のあったことはさきにも述べました。
それでは、なぜ、この時期に海が進入してきたかが問題になります。つぎにその問題解決に関連する気候を考えてみましょう。
高塚山層の粘土層の花粉分析の結果、たいへん興味深い事実がわかりました。粘土層の下半分の練っぼい部分からわかる当時の森林は、ブナを中心とする落葉広葉樹と常緑広葉樹とから構成されるものでした。粘土層の上半部の暗青灰色の貝の多い部分からは、アカガシ亜属が圧倒的に優占する常緑広葉樹の森林の繁茂していたことが想定きれます。花粉分析だけでなく、馬谷の海成粘土層から発見された植物化石にもブナのほかに、カヤ、アカガン亜属、クマノミズキなど暖かい気候下に生育する種が多いことがわかっています。ただ、ブナの実は現在のブナやイヌブナよりも小型で、今はすでに絶滅した種か、あるいは台湾に生えているタイワンブナにつながりのある種を考えねばならないと思われます。
このような事実から、当時の気候が明らかに暖化する方向に向ってきていたのは確実です。気候が暖化すれば、陸上生物の多くが南から北へ大移動をはしめますが、海ではどんなことが起るでしょうか。その第一は海水の増加です。南極大陸や北極に近いシベリアやグリーンランドなどの氷床が、気候暖化の影響をうけて融け、水となって海にもどされます。その結果、地球的規模で増加した海水が原因で海面が上昇してきます。海岸近くの陸地には、海水が進入をはじめます。地球料学では、このような現象を海進といいます。現在から2万年ぐらい前には寒冷な気候が地球を支配していましたが、その後しょじょに気候は暖化し、現在の暖かい気候になったことが知られています。このときは海面は100メートル近くも上昇したのが科学的に確かめられています。その上昇する速さは、1年に1〜2センチぐらいのものでした。
50万年前の海もこのようなしくみで、紀伊水道から大阪湾に入り、明石海峡を通って播磨灘に進入してきました。その海水の中には、現在の南の海や太平洋岸の暖かい土地の海岸に生きている生物がいました。メジロザメやシオガマサンゴなどは、その一例です。
この事実を支持する現象がまだほかにもあります。大阪港近くで掘られたボーリング調査(OD1)の結果、海成粘土層が厚くなり、海進が本格化したことがはっきりするのが第六海成粘土層(Ma6)からだということがわかっているのです。その頃、陸上には南の系統の東洋象がすんでいましたし、少し後ですが、ワニなども東南アジア方面から渡ってきました(マチカネワニ)。
高塚山層の海成粘土層はこんな時期にできたものと考えています。間氷期の温暖な時期の地層です。このあとに寒冷気候が訪れ、グイマツやチョウセンゴヨウマツなど北国の植物が南下してきますが、そのときの地層や化石は、西宮市神原に「満池谷のラリックス(グイマツ)層)として、兵庫県指定天然記念物の指定をうけ保存されています。
50万年前ごろは、象化石などからみても東アジアと日本とは接続していたようですし、北京原人やジャワ原人もこの時期の化石人類ではないかと推定されています。神戸の高塚山層からは、今後さらに重要な化石が発見されるかも知れません。
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